北海道に来てもうすぐ10年。
でも北海道ならではの言葉を自在に使えるようには
なかなかならない。
何でだろう?
考えてみて、導き出された答えは2つ。
① すでに他の言葉で表現できているから
② その感覚を持っていないから
どちらも思い当たることがある。
まず①について。
これはカンタン。
例えば『雪かき』のことを北海道では『雪なげ』と言う。
「雪なげしてたらさ~」とか「雪なげしなくっちゃ」とか。
でも東京出身の私は「雪かきしなきゃ」で表現できてしまう。
長くこちらに住んでいると、相手に合わせて無意識に
『雪なげ』という言葉を使うこともあるけれど、
基本『雪かき』で対応可能。
こういうパターンが①の場合。
では②は?
そう、これがけっこう大きいと思う!
例えば『あづましくない』という言葉。
標準語で言うとこんな感じだよという説明はしてもらったので
“理解”はできた。(はず!)
でも私の中に、その感覚は存在しない。
標準語で言うと、『あづましくない』は『落ち着かない』みたいな感じらしい。
でも北海道人にとってはやはり微妙に違うらしい。
何というか…感覚が。
つまり北海道の人にとって、『あづましくない』は
やっぱり『あづましくない』以外の何者でもない、というわけ。
同様に『めんこい』もある。
まだ北海道に来て間もない頃、私は稚内に住んでいた。
私にとって『めんこい』というのは、
どちらかというと年配の方が使うイメージ。
でも稚内では、同年代の女の子が普通に使っていた。
「あの子、めんこちゃんだよね~」
なんていう風に。
「『めんこい』って『かわいい』ってことでしょ?」
と問いかけた私に対して
「いや~…『めんこい』は『めんこい』なんだよね~。
『かわいい』とはちょっと違う」
と言われて戸惑ったのを覚えている。
これがパターン②。
これはどうも、その感覚を持って育たないとなかなか使えない。
使っている人の言葉を聞いて「ああ、ソレ知ってる!!」とか思ってしまうくらい
“自分の言葉ではない日本語”というわけ。
そして地元の人にとっても
『あづましくない』は『あづましくない』だし
『めんこい』は『めんこい』だ。
他の何者でもなく。
その環境で生まれた言葉を訳すのは難しい。
よく「ドイツ語の○○に相当する日本語がない」とか
「韓国語の△△を表現できる日本語がない」とか聞くけれど
それと一緒。
やっぱり、その環境で生まれた言葉を訳すのは難しい…ということね。