前回のつづきで、今度は日本人にとっての外国語について。
こんなことを耳にしたことはあるかしら?
◆日本人にとってスペイン語はわかりやすい。
→ 母音が同じだから。
◆日本人にとってイタリア語はわかりやすい。
→ 母音が同じだから。
◆日本人にとって中国語はわかりやすい。
→ 漢字へのハードルが他の国の人より低いから。
漢字を見れば大体の意味が掴めるから。
◆日本人にとって韓国語はわかりやすい。
→ 文法が同じだから。
似ている音もあるから。
これを聞いて、みなさんはどう思いますか?
確かに、一理ある…というか、なくも、ない…かもしれない(笑)
他の言語と比べたら――その比較対象の言語によっては――そうかもしれない。
たぶんこれは『学習』という視点に立ったときに出てきた言葉だ。
『勉強する=文字と文法から学んでいく』という方程式が成り立つのなら
最初の壁は低い方が入っていきやすい。
すぐに挫折…とはなりにくい。
例えばまったく同じゼロ地点からのスタートだとして。
「文字も音もまったく違うフランス語よりは、
音だけでも聞き取りやすいスペイン語やイタリア語の方が勉強しやすいよ」
と言われれば
「はぁ~…なるほどね~」
と思うかもしれないよね。
「英語と語順は一緒だし、漢字だから意味は理解できるから
中国語は勉強しやすいよ」
と言われれば、やっぱり
「そうだよね~」
と思ってしまう。
そして
「文法がまったく一緒だから韓国語はわかりやすいよ」
と言われれば、英語の文法で散々苦労を味わわされてきた私たちには
ひどく魅力的に聞こえる。
“その言語の専門家”の先生方は、
そこを強調してその言語の学習者を増やそうとなさったり
学習者の意欲向上へとつなげようとなさったりする。
それ自体は、べつにおかしいことではない。
でも私は、ちょっと気になる。
それは“自分自身が日本をを習得してきた過程にたって外国語を見ようとしたとき”。
前回述べたように、スペイン語圏の人にとってのイタリア語とか
ドイツ語圏の人にとっての英語とは
日本人にとっての○○語は、なんとなく違うように思うわけだ。
そもそも、『本来人間は言語を自然に習得してきた』という立場に立って見ると
その言語によって習得のしやすさに差があること自体、私は不思議に感じる。
これはやっぱり『勉強』という視点から見ているからなのか…
『自然習得』という視点から見たら、言語習得のしやすさに
本来は、差があったらおかしい。
本来人間は、その環境の中で育てばどんな言語も
「身につけやすい」「身につけにくい」なんて関係なく、自然に身につけられる生き物だ。
だから私たち日本人は日本語を自然に身につけられたのだし
イギリス人やアメリカ人やオーストラリア人や…は英語を自然習得したのだし
フランス人はフランス語を
スペイン人やメキシコ人はスペイン語を
中国人は中国語を自然に身につけてきたのだから。
だから
「日本語は難しいから日本人は頭がいい」とか
「ひらがなとカタカナと漢字を使い分けるから日本人は頭がいい」とか
そういう説も、私にとっては「???」となる。
『習得しやすい外国語』という視点で他言語を見たとき
『勉強』や『学習』で身につけるのか
『自然習得』で身につけるのかで、見え方が180度違ってくるというのがおもしろい。
はっきり言って私は勉強が好き。
でも『語学』に関しては、徹底的に苦手。
それはやっぱり不自然さを感じるからなのかなぁ…
だから私は断然、『自然習得』派なのデス☆