オーストラリアのメルボルンで、無料の英会話教室に参加したことがある。
こういうのは教会が主催している場合が多くて
参加者も何故か韓国人が多い。
初めてのところがとにかく苦手な私は、
ドキドキしながら足を運んだものだった。
行ってみると 韓国の人に「韓国人?」とか聞かれちゃったりして
意外とすんなり仲間に入れるのだけれど。
ある日、隣りに座った女の子が日本語で話しかけてくれた。
それはそれは堪能な…
でもうーん…微妙におかしい。
日本人であっても、向こうで生まれ育てば母国語は英語。
だからネイティブというには若干不自然な日本語を話してもおかしくない。
また、個性的な話し方をする生粋の日本人だっていらっしゃる。
彼女はちょっと変わった人なのか(失礼!)、それとも…
いろいろ考えていると、彼女が話のきっかけを作ってくきた。
「私の日本語、どうですか?」
この質問がくる時点で日本人じゃない!
と言い切れないのが、オーストラリアだ。
私は思ったままをたずねてみた。
「うん。すごく上手だと思うけど…
え、と…あの、日本人?」
「ううん。韓国人。日本語は勉強したの」
わぁお!
それならものっすごく上手い!!
だって本当に、ほんの少しイントネーションが違う程度なんだもの。
「日本人です」と言われても「そっかそっか!」と納得できるレベル。
“勉強した日本語”のような、不自然な波ではない。
だからこそ、私の中に戸惑いが生まれていたわけだから。
事実を知ってしまえば、
あとは彼女のあまりの流暢な日本語に感動するだけだ。
「すごい!日本人の日本語みたい」
「いえいえ。そんなことありません」
「あの…どのくらい勉強したの?」
そりゃあもう、私は興味津々。
そして彼女の答えは、それまで以上に私を驚かせた。
「1年」
い…1年っ?!
1年て、1年でしょ?!
365日よね??
そんなこと、ありえるの?!
私、自分が韓国語を1年勉強してもあなたの日本語のようには話せない自信があるよ?!
…とはさすがに口にはしなかったけれど、本気でそう思った。
韓国語は英語とは異なり、文法的にみると日本語と語順が一緒だ。
似ている音の言葉も多々ある。
だからといって、
・英語よりカンタン
・韓国人なら誰でも1年でネイティブのような日本語が身につく
というものではない。
その言葉が飛び交う環境が身の回りにあれば別だけれど
そうではないのなら、母国語ではないという点では同じ“外国語”だ。
少なくとも、韓国語を学んでいる“すべての日本人”が
たった1年でネイティブ韓国人のように
ナチュラルな韓国語が話せるようになるとは言えない。
なのに何故、彼女は身につけることができたのか…
私は不思議でたまらなかった。
その後何年か経って…
私は専門学校で講師をしていた。
その学校にはカフェビジネス科という学科があり、
韓国、中国、台湾など、アジアからの留学生が何人か在籍していた。
当然授業は日本語で行われる。
そこで生徒の1人である韓国人男性に尋ねてみた。
「どのくらい日本語を勉強してきたの?」
それに対し、彼の答えはやはり私を驚かせるものだった。
「1年です」
えーーーっ!!
1年しか勉強しないで、日本の普通の学校で授業が受けられるレベルになるの?
私、あなたとの会話に何にも不自然さや不自由さを感じないよ?!
どういうことなのか…
重ねて聞いてみると、彼は英語は苦手だという。
これはもしや、目的の違い?
確かに、それは一理あると思う。
ただ闇雲に、学校の科目として設定されているから勉強する英語と違って
彼らは『自分の意志』で日本語を学んでいた。
でも、それなら比較的英語が得意科目だった人たちは
中学高校で6年も勉強すれば、ネイティブ並みの英語力を身につけるはずだ。
でも実際はそうではない。
なら学習法の違いなのか…
それもたぶん、一理ある。
おそらく、理由はひとつではない。
そもそも、この世の中にたったひとつの理由でどうこう語れる事象なんて
実際はそう多くない。
少なくとも、私はそう思っている。
それにしても、すごい。
「1年で!」 という彼らがいる一方で
「何年もやっているんだけど…」 という人間が多いのが現状の『語学』という分野。
思うにそれは、『やり方』の問題だけではない。
『やり方』に『あり方(向き合い方)』と『環境』が混ざり合った上で
起こったことなんだろうと思うけれど…
でもやっぱり、すごい。
彼らの中で何が起こったのか
私はそれを知りたい。