これは最近見たテレビドラマの題名である。
まんまでは恐縮ゆえに前を少し省いている。
大変面白く拝見したのですが、
それはそれだけのことですが、
その中での主人公(裁判官)の「もの言い」に、
心に残ったもの、
心に適ったもの、があったのです。
そんなことで、ここで記すことに。
ちなみに省いたのは「テミスの」であるが、
それが何かは知りません。
であるがここに記すのは、
この物語とは関係がなく、
勝手ながらの言葉遊びである、
てかいつものことか、
てかてか、
・・・・・
その一つ、
分からないことを分かっていないと、
分からないことは分からない、
である。
一見禅問答のような言葉である。
この言葉が何回も出て来るのである。
私は言葉は「分けるもの」と常々言っている。
これは言葉の根本であり、
上の言辞はそれに通じるもの、
てかそのものである。
ちなみに私はいつも「分ける」と漢字で記している。
これは音だけではその元のイが分からないからです。
だから英語ではサッパリです。
それがなぜアンダースタンドなのかが。
いつも言うのですがそれが漢字のいいところで、
しかもそれを理屈でなく自ずと伝える。
てか、
分からないことがどこかが分かっていると、
そこを更に分類分析して、
そして「こと」を極めることが出来る。
これが言葉の技、人の言葉の技である。
思えばこれ人の言葉の当り前、
てか言うまでもないことだが、
でも彼はそれを言うのである。
思うにそれは、
言葉に安易に取り込まれないため、
言葉を常に自分の許に置いておくため、
しても分けても分けても底は見えないもの、
人はこの人の言葉の宿命に折り合わねばならぬ。
日本語はこれに対処する力がある。
それが「間」である。
それは文で言えば行間を読む心であり、
それは絵で言えば余白に美を見る心である、
よってそこで闇に堕ちず、ときにそこが埋められる。
ゆえそのイが微妙且綾に満ちるのです。
これはひとえにアナログ脳によるもの、
日本語は脳の本来の分を見失わせない。
それは言葉の始まりであるオノマトペとその音韻体系にあり、
それが後発である文字にも、それが元が絵である漢字である、
とかてか思っている。
・・・・・
その一つ、
法律は普通の平穏な日常を守るための約束ごと、
である。
これも彼は時折口にする。
これはまさに私が思うことに同じ。
これも日本人の心である。
この約束とは誰との約束なのかである。
これは寄り添って生きることを選んだ、
人間の人間による人間との約束である。
てかこれは法律だけには限らない。
してもここでは神を持ち出さない、
大日本は神の国也と言うのにです。
それとこれとは別のこと、
人のことは人に、神のことは神にです。
はて?どこかで聞いたような。
外国人がよく言うことに、
夜中車も走ってないのになぜ信号を守るのかと、
てかこれは約束だからです人と人との、
そこに誰もいなくても私がいるのです、
約束した当の本人である私が、
だから守るのである。
ちなみに内緒ですが、
私は状況によればときに目を開けて渡っている、
てか目を瞑ってではない目を開けてである、
てかてか内緒ですよ。
それにしても現下の状況には怒りが心頭である。
このインチキ民主主義の中で国会が作った、
訳の分からない法律を守らされるのは。
それになにより、この言葉の時代、
言葉を生業とする職業ほど変調である。
所謂インテリとか言う輩らである。
なかでも報道と学問や教育関係などは特に気になる、
それでも現場は結構まともである。
それはそうでしょう、
現実を生きるは必然アナログ脳になる、
とくにこの日本では。
でも一部はすっかりデジタル脳に犯されている、
しかもそうされてることに気づかない、
それが洗脳の恐ろしいところ、
気を付けましょうね。
・・・・・
表題のことと関係あるが、
私は法律家を余り信用していない。
そも「正義の番人」と言うのが分からない。
持論だが「正義」とは立場が替われば変わるものと。
私からすればそれは「法律の番人」であろうと。
そうでなければ三権分立とは言えない。
ちなみに「法律の番人」とは、
約束を守るという大事をこそ立てる人、
てか法律は法律だけでは成り立たない、
法律以前の歴史伝統文化(生き方の総体及び価値観)があり、
これなくして法律もなし。
ここに宗教をまんま持ち出すのはそも論外。
てか人の言葉はいつもそれは断片、
ゆえ条文のイだけでは諮れません、
立法主旨がその核にありましょう。
これは言葉尻でなく現実を見よということ。
昨今のように「権利」などと謂うイだけが、
そのイだけが大手を振って一人歩きするは、
これはもう世も末である。
にしても「3」という数字は奇妙な数字である。
これは何より安定をもたらす。
てかそれもそれは協働をしてこそ。
これも私の持論です。
てか法律の最大の見せ場{裁判」にてもそれは同じ。
協働をしてこそ真に迫れるのです。
裁判官・検事・弁護士の協働にて。
特に刑事事件に於いては。
しても今の裁判は「力」の場になっている。
弁の立つ者が勝つとする、である。
腕力と同じくもっぱら力の強いものが勝つというなら、
これはもう信用できない。
ときに冤罪は防げません。
今回のこのドラマではこの三者が協働している。
本当の意味でね。
ゆえ後味が良くスッキリ。
そしてそこに未来がある。
うん!