自我は「私」ではないのですが

「私」という感覚を持っているのは自我。

 

そんな自我は、常に何かを観測していて

観測した通りの現実を体験していると感じている。

 

 

私の世界は私が観測した通り

あなたの世界はあなたが観測した通り

になっている。

 

 

今まで生きてきた中で、たくさんの概念に触れ

みんな自分独自の価値観を身に着けてきた。

 

それを元に、目の前のことを観測し続けているのが自我で

それも〝ただ起こっている〟

 

『観測』という現象が起こっているだけなんだけど

 

過去の私は「現実こそが真実」で

 

「動かざる真実=現実」

を体験し起こる私の反応(観測)は変えることができない

 

と思っていたから

 

現実をどうにかしようと悩み、考え、行動する

という生き方をしていましたが

 

これが逆だったのですね。

 

 

現実と見ている世界は、真実でも確固たるものでもなく

極めてあやふやな幻想で

私の信念通りに観測しているから、そのように見えるだけだった。

 

なので、望まない現実を体験しているなら

それもただ自分がそう観測しているだけなので

じゃあ、違う風に観測してみればいいじゃん

 

ってな話だけだった

という話なのですね。

 

 

あなたは「何を」「どう」観測していますか?

 

 

koto