もう、これしかないと言っても過言ではない。

 

あなたの頭の中の考え、妄想

あなたの判断、認識

 

それって本当?

本当に本当?

 

ってことです。

 

ねえ、本当?

絶対?

なんで?

 

もしかしたら違うかもしれないじゃん。

違う世界もあるかもしれないじゃん。

そうとは限らないかもしれないじゃん。

今まで思い込んでいたけど、ほんとはそうじゃないかもしれないじゃん。

私(自我/エゴ)の勘違いかもしれないじゃん。

 

エゴの視野は狭いからね、ほんとに私(自我/エゴ)の勘違いなんだけど

 

今までは、エゴと一体化し

エゴ=自分なので

エゴの言葉が私の言葉で、エゴの考えが私の考えで、エゴの認識が私の認識で

 

尚且つ、エゴが正しいと思っているから、信じているから

自分の頭の中にある世界だけが正しくて、それ以外は間違いという認識だから

人をジャッジしたり、正そうとしたりが起こるし

自分を傷つける言葉、認識さえも疑うことなく取り入れる

 

というのが今までのエゴによる人間ゲームですね。

 

そんなエゴゲームはもう遊ばなくていいのなら

 

エゴを疑うことなのですね。

 

つまり、自分の認識を疑うってことです。

(思い込みを外すってことにもなる)

 

 

先日、お友達のルカちゃんが

「最近、常に自分を俯瞰して見ている自分がいて、なんかフワフワする」

「これでいいのか?」と言っていましたが

 

これでいいのか?と言ってるのもエゴなので、それも俯瞰して見たらいいですが

 

エゴゲームで遊ばないのなら、それは順調な証。

 

まずは、気づく=俯瞰して見ている ことなのですね。

コレなくして「疑う」は起こらない。

 

「気づく=俯瞰して見ている」は、エゴと一体化していないってこと

なので

 

NOジャッジで、ジャッジしている自分さえもジャッジせず

「今こうなんだな」と俯瞰して見ていこう。

 

それは「今を受け入れる」ということにも繋がるね。

 

最高乙女のトキメキ

 

 

koto