私達って、意識的・無意識含め
日々いろんなことを実行しています。
目覚めた瞬間から「起きる、まだ起きない」
眠る瞬間まで「寝よう」
「決めて→行動している」のですね。
宇宙論を実践するにあたり、
・私はなぜそう思うのか?
・私はどれが好きか?
・私は本当はどうしたいのか?
などを内観していくと
今まで深く考えたこともなかった、知ろうともしなかった
自分の行動の発端になっている〝思い込み〟を知ることとなります。
例えば、
「減る/ない」から買わないのか
「このままじゃダメになる」からなんとかしたいのか
「怖れ/不安/心配」からの行動なのか
とか
自分のネガティブな感情に気づき、そこを内観して掘っていくと
自分が喜びとは反対の世界観を握りしめたまま行動していたことに気づくのですね。
(思い込みに気づく)
ここで、「なーんだ、そうゆうことだったのか!」と気づき自然に方向転換が起こることもありますが
その思い込みを強く握りしめていたが故に、気づいても握りしめたままでいる時がある。
そんな時は「決めて→実行する」を何度でもやっていけばいいのです。
何度だって「決める」に立ち返っていいし、「実行する」だって自分のペースでいい。
けど、やるのです。
私kotoは、元々〝超男前な自我〟だったので、これが得意だったのと
幼少期から第六感が強く、自分の想いと反する「こっち」という強く入る直感は従わざるを得ない感覚になるので
自分以外の人のせい、現実のせいと思ってる時さえも
そんな現実に嘆きながらも「決めたことを→実行する」生き方ができた。
例えば9年前、私は夫の不倫をきっかけに宇宙論に出会ったんだけど
最初は意識の話ではなく、探偵さんのブログを読み漁っていたんだよね。
私が有利に離婚するには?とか慰謝料を多く貰うには?とか
どれが証拠になってどれが証拠ならないか?とか
証拠を見つける方法とか
で、実行してた。夫がお風呂に入ってる間にコソコソ証拠探したりしてた。
(生々しい話スミマセン)
ここで証拠が見つかれば「ヤッタ!」というような刺激が心に入ってきただろうけど
証拠は見つからなく、何度かコソコソを繰り返したところで「コソコソするのもうやめたい」という心の声をキャッチしたんだよね。
世間の常識的にはあり得ないかもしれない。私が損するかもしれない。
けど、私は自分の感覚に従い、証拠は手放したんだよね。
もういいや、いらない、損してもいい。
証拠となるものを掴むより、「コソコソする自分が嫌だ」を大切にした。
コソコソしてる夫はそのままに放置し、〝私は〟やめたり
「疑う」という行為も苦しくて、そんな自分が嫌になったから
現実では怪しさ満点だけど、そんな時から「疑う」もやめていった。
私はどうしたいのか?どんな自分が好きなのか?どう在りたいのか?
現実より自分を大切にできたのは、男前な自我のおかげでもある。
そんなことの繰り返しで、今までオールジャンルたくさんのことを実行してきた。
他にも
「減る/ない」から買わないという選択も「減る/ない」のままにしたままにせず
「減らないかもしれない」「ないって嘘かもしれない」にしてから買わないを選択したり
「減らないかもしれない」「ないって嘘かもしれない」にしてから買うを選択したり
「私の願いは聞き入れてもらえない」という思い込みも持ってたけど
現実が変わる前から、現実に「私の願いは聞き入れてもらえない」という意見を採用するのやめたり
とか
もう、たーーーくさん。
事あるごとに気づく自分の思い込みを、その都度どうするか?自分で決めて実行してきたんだよね。
そして、やっぱり自分の世界は自分の意識の在り方でできているんだと
体感してきました。
やっぱりコレなのです。
↓
勿論、やる/やらない も自分で決めることで
自分で決めたことはどっちでもいいんだけど
何を発端に行動しているのか?
自分のその行動の基盤にあるものはなにか?
根っこを見ていき、自分の好きなように軌道修正していくことは
「やるといいよー」とおすすめです
koto