今回のパートナーシップで起きた問題について、意味を考えたりしています。

 

お別れした彼やクノタチホさんの考えを聞いていると、どうもポリアモリー的な愛の概念が性愛においてより高度?進んだ?深く、純度を増した?考え方捉え方に繋がるらしい。。

多様性を認めるとか、愛しているから彼の性癖も受け入れたい。とか、ワンネスで愛し合う、愛そのものになるとか。。。なの?

ちょっとやっぱり良くまだわかんないみたい。

私の中にある既成概念を捨てなくちゃと、踏ん張って力んで、失敗に至りました。。。

 

明らかに嫌われて振られていたり、ぞんざいに扱われているにも関わらず同じ人とだけセックスをする事にこだわってきた16年間の事や、幼少期にできた傷に反応して、何があっても側に居る事で彼を助けるんだ、それが私の愛する形なのだと続けてきた旦那との結婚生活も、小さい頃から誰か一人だけ特別密に関係を結ぶ誰か1人が、私の人生の各年代のそれぞれに必要で、それが祖母だったり、飼っていたインコだったり、先生だったり、友達だったり。。。異性で結婚前に付き合ったのは旦那だけで。。。全部私が追いかけ回して付き纏う形だとか。

 

インナーチャイルドが叫びます「私を見捨てないで!!無視しないで!!お願い!お願い!!」

 

淫乱な女性性を肯定的に受け入れる為に、女の人は成長過程で男性にチヤホヤされる経験が必要だってチホちゃんは言います。自身の女性性への自信が大事なんだって。叶恭子さん的なマインド。

複数人にチヤホヤされなくても、女性として愛されてる事、愛を受け入れる喜び、自信ってつかないのかねぇ??しょんぼり。

必死こいて穴を提供しなくても、性にアグレッシブな私の事は大好きなんだけどな。

だけど確かに。。私が女性として男性に愛されているって自信もイメージも。。

無いかも><; 男性の愛なんて信じられない、嘘だよ。口先だけか、自分のロマンに酔ってるだけだって、本当に私の事を愛しているわけじゃないって秒で思うもん。

その、チヤホヤされている自分をイメージした時に、イメージの私は男性がとても恐ろしいものだと思っています。

行動で荒療治したとして、それは痛すぎる。

 

自分で傷ついた自分を認め受け入れ、イメージが書き換わらないと、また同じ事同じご縁の繰り返しになってしまう。わかってる。

 

チホちゃんの本をちょっとだけ読みました。私が無意識に植え付けられた女性というものの概念、特に母親の持っていた概念をそのまま受け継いでいます。

それプラス、アダルトチルドレンの心の傷からくる「見捨てられ不安」これも相まって、今回の様な事象が起きたのですね。

 

性愛を極めたい、研究したいという欲はあります、が

まずは、私を含め不器用な一般ピーポーがある一定の所まで達せた道標を提示したいと思います。

私が満足ならそれでいーのだ。

 

野望も良いけど、私アダルトチルドレンに特化したカウンセリングを受けに行かないとなぁって思った次第でございます。

 

愛の迷子だ。。。