赤線 | ことあやののブログ

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暫く前に知ってる質屋のおじさんに聞いた。

安浦の辺りに質屋がめちゃめちゃ多いのは、昔、と言っても戦後とかでなく、つい20年前とかまで、あの辺りは遊郭があり、そのお陰で質屋がたくさんあったのだそうだ。

一番華やかで眠らない町だったのは、浦賀ドックが大活躍していた頃なのだと。
なので、安浦の辺りから、あたしの住んでる日ノ出町までの16号沿いはたくさんの日本人相手の遊郭と、お客の漁師、そして遊女が溢れていたそう。

その時代の遊女は、20年前で既に60才を越えていたそうだが、まだその世界で生きていたそうだ。

で、まだ生きているから凄い。さすがにもう遊女はしてないが。最後の生き残りらしい。

日ノ出町から大滝町(中央駅付近)はいわゆる「赤線」で、日本人相手の飲み屋がた~くさんあったらしい。パンパンもたくさんいたらしい。

で、大滝町の隣の本町(ドブ板を含め)辺りは米軍相手の飲み屋がたくさんあったらしい。遊郭はないからかわりにホテルが使われていたと。
でも当時はJR横須賀駅が主な駅だったはずだから、横須賀駅を降りた日本人は、ドブ板を通りすぎて中央や安浦に通ったんだろうか…?

その「赤線」の生き残りが駅からのあたしの帰り道に点在する。米が浜のある一角は改装もされないまま残ってる。

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ホント、刑事物のロケとかでしょっちゅう撮影してる場所。

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凄い古い感じでビックリする。笑

ここの店はみんなママがおばあさんで、

やはり赤線の頃にここでホステスとして働いていた人やその娘がやってるようだ。

だからみんな80才とか若くて60代だ。

昨日通り掛かったらある店のシャッターが降りていて何やら貼り紙が。



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「げ!どうしたんだろ。」


と、今心配してます。

よく子供達にみかんとかをくれるお婆さんで、名前もあたしと同じ「ちか」だから、なんか馴染みがあった人なんだけど。

年も年だったから、どうしたかな…?と、気になる。


また会えると良いな。