哲闘病記・・・その3 | 柴犬虎哲の部屋

柴犬虎哲の部屋

我家の愛犬、柴犬虎哲と日本全国旅日記!

第11章:ペットロスと哲の気配・・・3月下旬~4月上旬


足音と鼻息と霊体


骨壷に入った は、仏壇の横に父が台を作って安置していました。

朝夕、私が般若心経と諸仏真言、陀羅尼を唱えてあげました。


ワンコがいない寂しい日々がすぎていきました。

3月末の或る日、私が夜二階の自室にいると、
一階の の犬小屋がおいてあった廊下の方から、
ワンコがフローリングの床を歩くカツカツという足音がしました。
さらに、ワンコが何かを匂ったあとによくやる、
「フンッ」という鼻息の音まで聞こえます。
それも何度もそういう事がありました。
下を見ても、もちろん誰もいません。
(虎哲を迎える前です。)
私は「哲か?来てるんやったら上にあがってこい」と言いましたが、
なぜか上がってはきてくれなかったです。


の霊体も、死亡直後2度見ています。

1度目は風呂から上がった直後、目の前の階段に、
一瞬だけですが、かなり大きな の顔が浮かんでいたのです。

あと1度は、リビングで阪神 のナイターを見ていた時です。

窓のレースのカーテンがフッと揺れたその次の瞬間、
の上半身がぬ~~っと、まるで空気の塊みたいな感じで出てきたのです。

どちらもほんの一瞬で、すぐに消えました。


不思議と怖い、気持ちが悪いという感情は全く起きませんでした。
が死後も存在している喜びと懐かしさの気持ちを感じたのを覚えています。

姿を見せたのはそれっきりで、その後、今に至るまで出てきてくれません。

夢にも1度だけ出てきただけで、最近全く出てくれません。
たまには出てきたらいいのに(笑)



ペットロス深刻化


の死後、しばらく眠れない日々、何も食べられない日々が続きました。
1週間ほど、まともに寝なかったと思います。


テレビでポチたまなど、犬が出てくる番組は、極力避けていました。
道を歩いていて、前から犬を連れた人が来たら、道を曲がっていたほどです。
と歩いたお散歩コース、公園には、近づかないようにしていました。
との思い出が、強烈に蘇ってくるからです。


相当ひどいペットロス状態で、私はかかりつけ医に弱い精神安定剤を処方してもらったほどです。

ネットで、同じようにワンコを亡くした体験談ばかり、読み漁っていました。

またスピリッチュアリズムに傾倒し、その種の本やサイトを読みあさっていました。



霊能者高橋氏 との出会い


分離不安が激しく、わずか数分でも1人になると鳴きわめいていた が、今虹の橋(霊界)で1人で耐えられているのか、すごく不安でした。
寂しくて、ずっと鳴き続けてるんじゃないだろうかと。


の霊界での様子を、霊能者に調べてもらおうと思いました。

でもネットで、何人もの霊能者のページをチェックしましたが、

どれも胡散臭かったり、あまりの高額の料金設定で相談する気もおきませんでした。


そういう時、ある巨大掲示板で、「この人こそ本物と思える霊能者は」というスレッドがあり、紹介されていたのが、

茨城県ひたちなか市の霊能者、高橋久美子氏 だったのです。

愛犬家でもある高橋さん は、ご実家に柴犬も飼っておられ、
何度も掲示板に書き込みしては、癒しの返答をしていただいていました。


ある時私は、韓国の企業が犬のクローンの商業的な注文を開始したというニュースを聞き、家に残る の遺骨や血の跡、抜け毛からDNAを取り出し、 のクローンを作ろうと本気で考えていました。

ただクローンでは、遺伝的に肉体は同じでも心(魂)が とは異なってしまいます。

そこで、霊界にいる の霊をこの世に呼び戻し、出産前にクローンの身体に入れるよう、高橋さん の力でできないか掲示板で尋ねたのです。
私は、火葬後もまだ が諦めきれなかったのです。
そんな事を考えるほど、深刻なペットロス状態でした。


すると高橋さん の掲示板で常連の、スピリッチュアリズムに詳しい方から、「産土神への冒涜であり、非常に恐ろしいこと。
そんなことほんとうにすれば、貴方も 君の魂も地獄に引きずり込まれる。」と強烈に叱られたのです。


高橋さん ご本人は、「できなくもないよ」って感じだったのですが、
あの時叱っていただけなかったら、本気で韓国の企業に のクローン
づくりを依頼しに行ってたかもわかりません。

1500万円ほどかかるそうですが・・・


高橋さん のサイトを通じ、様々なスピリッチュアリズムのHPを読みふけり、 は霊界(虹の橋)で安寧に暮らしていると思えるようになっていきました。



横田晴正氏 との出会い


もうお1人、私の深刻なペットロス状態が癒やされるきっかけになったのは、新潟県長岡市の長福寺(曹洞宗)ご住職で、ペットロスの専門家でもある、横田晴正氏のHP と出会ったことです。


ペットロスがテーマのネット掲示板で、横田氏のページ を隅から隅まで読みなさい、ってどなたかに教えていただいたのです。

そこにはペットロスの特徴、過程、癒やしに至る道筋が、詳細に記されていました。

最近ワンコを亡くされた方は、ぜひアクセスしていただきたいです。


このHP をまとめた、横田晴正氏 の著書、

「ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室」:双葉社刊

も注文し、読みふけりました。


横田晴正氏のHP との出会いがなければ、ペットロスからの回復も遅れ、後に虎哲を迎えることも無かったと思います。


私は、 の位牌を、この横田氏に依頼し制作していただき、
魂入れの法要の後、送付していただきました。

アクリル製のクリア位牌ですが、非常に良心的な価格でした。



第12章:哲の埋葬・・・2008年5~6月



霊園探し


火葬後、骨壷に入ったままの でしたが、49日までには、
どこかの動物霊園にお墓をつくって、埋葬してやるつもりでした。

ネットで何箇所も調べまくり、

宝塚動物霊園 と神戸市東灘区の動物霊園、

枚方市の動物霊園の3箇所に候補地を絞りました。


それぞれすべて下見に行きました。
枚方市の霊園は一番家から近いですが、

寂しい山の中の薄暗い谷間にあるため却下、
神戸の霊園も、谷底の見晴らしの悪い場所にあるため却下、
結局、見晴らしも規模も抜群の宝塚動物霊園 にしたのですが、

最大の問題点は、価格が高いということでした。


5月のゴールデンウィークに、宝塚動物霊園

のお墓の注文に行きました。
本格的な石のお墓を注文したところ、制作に1ヶ月以上かかるとの事。

費用は墓石だけで40万円でした。

結局お墓の完成は49日をとっくにすぎた、100か日を迎えようとする、6月下旬でした。


埋葬


家族全員で の骨壷を宝塚に運びました。
との最後のドライブです。


骨壷を墓石の下に収める時、宝塚動物霊園 の僧侶に

開眼供養をしていただきました。
私も粗塩で土砂を清め、光明真言を唱えながら、納骨しました。
同時に、100か日の法要もしていただきました。


墓石は、絶景の高台に設置されました。
ここからは、大阪平野が一望でき、視界が良い日なら、

大阪湾、二上山、葛城山、金剛山、
更には遥か大台ケ原山系まで見渡せます。


夜になると、見事な夜景が広がります。
宝塚動物霊園 は、墓地であるにもかかわらず、
夜、カップルが夜景を見に来るほどなのです。


墓石の向きは、哲が家の方向を見やすいように、我が家のある枚方市の方向に向くよう設置しました。

我が家からも、宝塚動物霊園 の方向を向いて、

毎日般若心経や諸仏真言、陀羅尼を唱えてやっています。


その後現在に至るまで、毎月20日の月命日と更にもう1回、

月1~2度ほど墓参を続けています。
まあ、最近ちょっとさぼり気味なのですが・・・




第13章、新しい子を求めて・・・2008年3月末~2008年6月17日



犬のいない生活


時期は前後しますが、 の火葬後、しばらく犬のいない寂しい生活が続いていました。

その寂しさが、ますますペットロスを悪化させているようでした。

両親は、もう二度と犬は飼いたくないと言っていました。

しかし私は、どうしてももう一度柴犬と暮らす日々がおくりたかったのです。


犬を亡くした後、新しい子を迎えたら、亡くした子が嫉妬して悲しむ、
と言う人がいますが、これは間違いだと思います。
新しい子を迎えるという事は、それだけ前にいた子の存在感が大きかった証であり、自分の存在は、それほどまでに家族の中で大きかったんだと、
虹の橋にいる子は、飛び上がって喜ぶそうです。
ただし、新しい子にばかりかまいっきりで、
亡くなった子の事を忘れてはならないのは、言うまでもありません。
虹の橋の子たちは、自分たちのことが忘れられるのを、最も悲しみますから。


の両親犬


私は、日に日に、新たな柴を迎える決心を固めていました。
どうせ飼うなら、 とできるかぎり濃い血縁関係にある雄の柴がほしいと思っていました。

できるならば、 と両親が同じ子がほしいと決めていました。

ただ、 の母犬(福女号)は、 を産んだ時にすでに7歳を超えており、この時点で14歳以上であり、ほぼ妊娠は不可能に思えました。


の父犬(元也号)は、日本犬保存会 の展覧会で何度も賞を受け、

完成犬の地位を得た名犬で、 の誇るべき父親です。
元也号は、1998年生まれで、 より2歳だけ年上です。
この時点で9歳を超えていましたが、まだまだ現役で、1年に何度も子犬をつくっていました。
ただし、すでに高齢犬の域に達していたため、この先も子犬をつくれるか、少々不安でした。
私は、どちらか片親でいいから、 と親が同じ雄柴が生まれることを

望んでいました。


赤根川辰巳荘 への報告と注文・・・2008年3月末


の火葬から一週間ほどたった3月下旬、
の出身犬舎である、兵庫県明石市の赤根川辰巳荘 へ、
の死亡を報告するメールを出しました。

そして同時に、新しい子を と同じ、赤根川辰巳荘 から迎えたい旨を

伝えました。
できるならば、 と両親が同じ子がほしい旨を伝えました。


直接ワンコの取引をされている、ブリーダーさんの娘さんである、

Mさんから、すぐに返信をいただきました。

Mさんは、 の死を非常に悲しんでいただきました。

Mさんから、 の母犬(福女号)は、すでに他の犬舎に移動してしまったため、消息不明、父犬の元也号も高齢のため、今後も繁殖犬として活躍できるか未定、とのご返事をいただきました。


私は、もし今後元也号の子犬が生まれたら、真っ先に連絡をほしい旨、伝えました。

もし元也号の子が無理なら、元也号が祖父になる子(元也号の孫)

がほしい旨も伝えました。



交配と妊娠・・・2008年4月~5月上旬


その後しばらく、赤根川辰巳荘 から返信はありませんでした。
私は神仏と に、元也号の子が生まれることを祈っていました。


2008年4月の中頃、赤根川辰巳荘 のMさんからメールが届きました。
元也号が犬舎の雌犬と交配したとの連絡でした。
私は、元也号がまだ現役の父犬として活躍できた事を喜びました。
頼むから妊娠してくれと、神仏と に祈っていました。


そして5月上旬、赤根川辰巳荘 のMさんから、
4月に元也号と交配した、犬舎の由美奈姫号が妊娠したとの

連絡が入ったのです。

順調に育てば、6月下旬には子犬が誕生するとも。


私は夜中だったにも関わらず、飛び上がって喜びました。
まるで、 が生まれ変わって帰ってくるような気分でした。
この時はじめて、新しい子を注文していることを、両親に打ち明けました。
両親は最初、苦々しい顔をしていましたが、すぐに承諾してくれました。

後は胎児が無事成長して生まれることを、神仏と に祈っていました。


第14章:虎哲誕生・・・2008年6月17日


出産の知らせ


2008年6月17日、赤根川辰巳荘 のMさんから、
犬舎の由美奈姫号が、元也号を父とする子犬を無事出産したとの

連絡が入りました。

私は涙がでるほどうれしかったです。


数日後、子犬の画像を送っていただきました。
雄2頭、雌2頭で生まれたそうで、2頭の雄犬から、
希望する方の子を選んでほしいとの事でした。

どちらも甲乙つけがたく、悩みに悩みましたが、

直感で、後に虎哲になる子を選びました。


ちなみにもう1頭の雄は、現在滋賀県に暮らしており、
太郎君という元也号似の非常にかわいい穏やかな男の子です。
雌の2頭は、大阪市在住のななこちゃんと、
高知県在住のチャッピーちゃんに、後になる子でした。


ちなみにこの4兄弟は、1歳になった1年後に、

全員揃って赤根川辰巳荘 を訪問し、両親犬と兄弟犬全員との

再会を果たしています。(その時の様子はこちら 。)


命名


日本犬保存会 に血統書を申請するため、子犬の名前を決めてほしいと赤根川辰巳荘 から連絡がありました。

いろいろ悩みましたが、新しく迎える子犬は、元也号の子、

つまり の実の異母弟になります。
だからどうしても の1文字は入れると決めていました。


は大好きな漫画、じゃりン子チエ のヤンチャな父親、「テツ」から
とった名前です。
だから新しい子にも、じゃりン子チエ にちなんだ名前をつけようと
思いました。
新しい子には強い子になってほしかったので、
じゃりン子チエ に出てくる、最強の猫、「小鉄」の名前をもらおうと決めました。
ただし漢字は、虎に で虎哲としようと決めました。

猫の小鉄や虎のように強くなってほしい事と、

兄ちゃんから1文字もらってつけた名前です。

さらに、私は阪神タイガース の熱狂的なファンで、

「虎」はそれにもちなんでいます。


赤根川辰巳荘 のMさんに、日本犬保存会の血統書の名称も含め、
「虎哲号」にするよう、お願いしました。



初めての出会い・・・2008年7月26日


2008年7月26日、赤根川辰巳荘 のMさんから子犬見学の許可が出ました。
を迎えた時以来、約8年ぶりに明石市の郊外にある赤根川辰巳荘 を訪問しました。


まずは父犬の元也号と会わせてもらいました。
表情やシッポの感じなど、 と似た特徴が多く、思わず涙ぐんでしまいました。
ひさしぶりに触れる柴の成犬の感触、感無量でした。


Mさんはすぐに子犬を連れてきてくれました。
初めての虎哲との対面です。
この日はとっても暑い日で、凍らせたペットボトルを咥えて、
虎哲はゲージの中で遊んでいました。
すでに犬舎の方は、虎哲、虎哲と呼んでくださっていました。


すでに生後40日、すぐにでも連れて帰りたいところですが、
8月中旬に、我が家で大きな法事が予定されていたため、
それが終わってからの譲渡と決めていました。


結局同胎兄弟犬の中で、虎哲は最も遅くまで赤根川辰巳荘 に残ることになりました。
そのことが、後に社会性を身につけるのに、大いに役だったと思っています。


逆に は、生後41日で我が家に来ました。
母犬と早期に離れた事が、分離不安傾向や、雄雌かかわらず、
他の犬に一切心を開かなかった事や、家族以外の人間には、絶対に触らせなかった、事などに、影響したのだと思います。


虎哲を迎える日は、8月24日と決まりました。
真夏の猛暑の毎日、指折り数えてその日を待っていました。
それまでに、子犬を迎える準備で、大忙しでした。
ひさびさにペットショップに行き、犬と再び暮らせる実感が、
日に日に強まってきました。




第15章:虎哲が来た(最終章)・・・2008年8月24日

(その時の画像はこちら


犬舎へ


2008年8月24日、ついに虎哲が家族になる日が来ました。
明石市の赤根川辰巳荘 に向かう高速が渋滞し、本当に犬舎到着が待ち遠しかったです。


犬舎に着くと、虎哲はゲージに入って遊んでいました。
母犬の由美奈姫号と、父犬の元也号に、お別れの挨拶をさせました。
由美奈姫号は事情を察しているのか、心配そうな表情で、虎哲を匂っていたのが思い出されます。
元也号はさすがの貫禄で、堂々としていました。


赤根川辰巳荘 が用意したバスケットに虎哲を入れ、
帰路につきました。
帰路も阪神高速神戸線が大渋滞との情報のため、
北神戸線を経由し、中国道へ入りました。


途中、宝塚西トンネルを出ると、すぐ北側に、
哲が眠る宝塚動物霊園 があります。
側を通る時、 に、お前の弟を連れて帰ってるぞ、
守ってやってくれよって、声に出して祈りました。
私はその時、自然と涙にあふれていました。

虎哲はバスケットの中でじっとおとなしくしていました。
隙間から指を入れると、まだ頼りない乳歯で噛んで来たのが思い出されます。


家に到着


夕方、家に到着しました。
バスケットから出した瞬間、虎哲は最初はちょっと警戒していましたが、
すぐに、新しい場所への警戒感より、広い場所に出られたことへの喜びが勝り、家の中を縦横無尽に走りまわりました。
そして、すぐにあちこちにオシッコをしました。
哲が子犬の時以来、7年半ぶりの子犬の世話に翻弄させられましたが、新たに柴犬と暮らせる喜びに、疲れなど吹き飛ぶ思いでした。


すぐ の位牌に虎哲を挨拶させました。
「コレ何?」って感じで、虎哲は位牌を匂ってました。
位牌を虎哲に齧られないよう、タンスの上に の祭壇を移動させました。

に、お前の実の弟やぞ、お前みたいな病気にならんよう、
よく守ってやってくれって、強く念じていました。


終わりに


その後の虎哲の様子は、ジオシティーズのHP と、

このアメブロで公開している通りです。


の死後、ずっと書かなければならないと思いつつ、
ペットロスの再来が怖く、ずっっと書けなかった の闘病の様子、
七回忌に至って、やっと書いてやる事ができました。

長期にわたって、画像もないつたない文章をお読みいただき、
心から感謝します。


皆様にお読み頂いて、 もさぞ喜んでいることと思います。
本当にありがとうございました。



文責:虎哲パパ

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