哲闘病記・・・その1 | 柴犬虎哲の部屋

柴犬虎哲の部屋

我家の愛犬、柴犬虎哲と日本全国旅日記!


7回忌をきっかけに、パパもやっと決心がついたので、

壮絶な闘病の様子を、アップします。


ちなみに、闘病の様子の画像は全くありません。

パパの記憶に基づく文章オンリーです。

何故かと言うと、当時今のようなブログもしていませんでしたし、

誇り高い柴犬だった が、病魔に負けて弱り果てた様子など、

一切記録したくなかったからです。

撮影などしている心の余裕もなかった、というのも理由の1つです。


今から思えば、それも の犬生の一部であり、

記録に残してやりたかったと後悔しています。


文章ばかりの上、重苦しい内容ですが、

良かったらお読みくだされば幸いです。


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  の闘病記



 

第1章:発症・・・2008年1月下旬~2月上旬



食事拒否


に最初の異常が現れたのは、生後7歳3ヶ月だった、

2008年1月下旬のことでした。

 徐々にフードを大量に残すようになり、ついに全く食べなくなったのです。

最初はおやつほしさのわがままだと思っていました。

でも大好きだったササミジャーキーすら食べようとしません。


私は、なんとか食べさせようと、ささみのふりかけをトッピングしたり、

オヤツをフードに混ぜたりしましたが、一切口にしようとしませんでした。

スーパーで、人間用のささみを買って、茹でてやると、1口2口食べましたが、これも全部食べてくれませんでした。

 ムツゴロウさん が監修しているとかいう、

栄養価が詰まった犬用のスープを買ってきましたが、

これも飲もうとしませんでした。


一方、水は大量に飲んでいました。

おしっこも大量にしていました。

今思えば、まさに多飲多尿という異常な状態だったわけです。


の食事拒否は数日に及びました。

相当しんどかったのでしょう。

1日中コタツの中に潜り込んで、 は寝ていました。


何とか食べさせないと命に関わりますので、

本当はいけないことですが、人間用の唐揚げやチャーシュー麺のチャーシューを無理やり口に押し込んで食べさせようとしました。

でもそれでも、ちょっと口にしただけで、食べようとしませんでした。



下痢と血便


そんな状態でも、 は朝夕のお散歩はきっちりこなしていました。

は虎哲同様、トイレ完全外派で、死ぬ当日まで家では排泄しなかったほど、頑固犬だったのです。


食事拒否と同時に、何日も下痢が続いていました。

最初は24時間ほど絶食させれば治るだろうくらいの気持ちでしたが、

一向に止まりません。

ペットショップで売っている市販の整腸剤を飲ませましたが、

全く効き目はありませんでした。


 2月になったある日、 の下痢便の色が黒っぽくなっているのに気づ

きました。

明らかに消化管上部で何らかの出血を起こしている症状です。

また、一部赤い鮮血も付着していました。

ここにきて、やっとかかりつけの、寝屋川市内のL動物病院を受診

させる決心がつきました。

この時点で、 はすでに3~4日、何も口にしていない状態でした。



第2章:通院・・・2008年2月上旬~2月下旬



L動物病院受診


2008年2月上旬、かかりつけの、寝屋川市内のL動物病院を受診しました。
担当は院長ではなく、若いO獣医師でした。


血液検査とレントゲン検査を受けました。
結果は、GPTとGOTという、肝機能の異常を示す数値が高い値を示していました。
さらに肝臓に、本来映るべきものでない何かが写っている、
現時点ではこれが何か断定できない、との事でした。
体温も高く、40度近い高熱が出ていました。


肝炎の可能性が高いとの診断で、強肝剤と栄養剤が入った点滴を、
毎日通院して受けに来るよう指示されました。
肝臓の薬
と下痢止め、吐き気止めの薬も処方されました。


神経症状


強肝剤と栄養剤の点滴を、連日続けていました。
会計は毎日6300円でした。


相変わらず全く食べてくれません。
ピーク15kgもあった
の体重が、日に日に減って、11kg台まで痩せてきました。
さらに、下痢止め、吐き気止めも全く効かず、相変わらず水のような黒っぽい下痢と、胆汁液と胃液が混じったような嘔吐を繰り返していました。


それに加え、明らかな神経症状が出てきました。
首をかしげるように右に傾けるのです。
獣医学用語でいう「斜頸」です。
さらに夜中に突然起きだして、部屋の中を意味もなく徘徊し、
壁に頭を押し当てて、前に進もうとするような異常行動が出てきました。
高齢の痴呆犬が行う行動と瓜二つでした。
その時
が私を見た、すごく怒ったような目つきが、

今も忘れられません。


翌朝、O獣医師にその事を伝えると、
肝機能の異常からくる肝性脳症の可能性があるということでした。
後にこれは誤診だったとわかるのですが・・・


エコー検査で半日入院


肝臓に写っている「何か」を、より詳細に調べるため、
O獣医師の出勤日の3日後、エコー検査をすることになりました。

エコーなんて、その場でやったらいいと思いましたが、
この病院では検査の予約が混み合っていて、
その日午後から半日入院させ、午前と午後の診察時間の間に行うとの事でした。


は、かなりの分離不安があり、飼い主とわずかでも離れて1人になると、鳴きわめくような子でした。
同じ犬舎 出身で、父犬が同じなのに、虎哲は1人で何時間でも留守番させても全然平気なのと、全く好対象でした。

ですから、たとえ午後からの半日だけでも、入院に耐えられるか、すごく不安でした。
が1人で何時間も耐えられるかの不安とともに、
ずっと鳴き続けて、病院に迷惑をかける心配も大だったのです。


翌日、午前中に診察、点滴を終えてから、 をO獣医師に預けました。
帰りにすぐ近くの成田山不動尊 に寄り、 が無事に検査を終え、レントゲンに写った「何か」が、癌じゃないことをお不動様に祈りました。


その日の19時に を迎えに行きました。
数時間ぶりの対面に、 は大興奮すると予想していましたが、
私が迎えに行っても、知らん顔、というか、
私が誰かわかっていないようでした。
それほど神経症状が進んでいて、しんどかったんでしょう。
家に着いて家族に会っても、同じような態度でした。
相変わらず斜頸を続け、夜間の異常行動が続いていました。


不整脈とCT、MRI検査への迷い


翌朝、O獣医師を受診し、エコーの結果を聞きに行きました。
お話は、やはりレントゲンで写ったのと同じ場所に、
本来映るべきではない「何か」がある。
でもエコーでもこれが何かは確定できない、
確定するには、CTとMRIでより詳細に調べる必要がある。
神経症状の原因も、脳のMRIで明らかになる可能性が高い。
ただ、関西でCT、MRIがある動物病院は、三重県上野市の南動物病院 と、大阪市東成区のネオベッツVRセンター しかない、
主治医からの紹介で予約せねばならず、最短でも1~2週間はかかるとのことでした。
(注:2008年2月現在の話です、今では関西でもさらに数カ所、
CT、MRIがある動物病院が増えています。)


私はすぐにでもCT、MRIを受けさせ、 の体内で何が起きているか、
一刻も早く確定させたかったです。
しかし1つ不安がありました。
それは、動物の場合、CT、MRI検査は必ず全身麻酔下で受けなければならないことです。


その不安を更に増強させる症状が出てきました。
エコーと同時に心電図検査も受けたのですが、明らかに不整脈が見られるとの事でした。
不整脈があると全身麻酔のリスクが高まる。
ただ今の全身麻酔は、詳細なモニター下で行われ、麻酔薬の安全性も飛躍的に高まっているので、リスクを乗り越えてでも、 を苦しめている「何か」をはっきりさせた方がいいとのお話でした。



第3章:セカンドオピニオン・・・2008年2月下旬



バーニー動物病院 受診
それでも私は迷っていて、CT、MRI検査予約の即答を避けました。
別の病院でセカンドオピニオンを受けてから返事をしたい旨、
O獣医師に伝えました。
CT、MRIを一刻も早く受けさせたい、でも全身麻酔のリスクは怖い。
この迷いを断ち切るため、
が1歳までかかりつけだった、
守口市の
バーニー動物病院 でセカンドオピニオンを受けることにしました。
我が家は2001年まで、守口市で暮らしていたのです。
O獣医師は快諾され、詳細な紹介状を書いていただきました。

肝臓の薬と下痢止め、吐き気止めに加え、新たに不整脈の薬も処方されました。
「これ死ぬまで飲み続けるのですか?」との私の問に、
O獣医師は、「心臓移植でもしない限りは・・・」と答えられました。


 癌の可能性

翌日、数年ぶりにバーニー動物病院 を受診。
その時担当していただいたのが、現在の虎哲の主治医である、 岡田実千先生だったのです。
岡田先生は、すぐに血液検査、レントゲン検査、そしてエコー検査をされました。

バーニー動物病院 の岡田先生の診断は、
やはり肝臓に「何かぷつんと」写っている。
肝機能の数値も高い。
脾臓が大きく腫れている。
血小板の数値がかなり低く、
お腹に小さな紫斑ができており、出血傾向を起こしている可能性大。
脾臓が破裂したら生命に関わる。
確定できないが、血管肉腫などの癌の可能性大、
とのお話でした。

岡田先生は、ベテラン獣医師の平原先生にお願いし、 哲の血液を顕微鏡で見ていただきました。
岡田先生:「あります?」
平原先生:「うん、ある」という会話が行われていました。
血液を顕微鏡で見て、明らかに異常な細胞が見られるとのことでした。

岡田先生は、 は、何が起きてもおかしくない状態であること。
一刻も早くVRセンター に予約し、CT、MRI検査を受け、病名を確定し、癌ならすぐに抗癌剤治療を開始すべきとおっしゃいました。

翌日、バーニー動物病院 の診察結果を、L動物病院のO獣医師に伝えました。
もはや迷っている余裕などありません。
O獣医師に直接
VRセンター に予約の電話を入れていただきました。
最初、2週間後しか空いてないとの返答でしたが、
O獣医師に緊急性があると粘っていただき、
一週間後にCT、MRIの予約を入れていただきました。



第4章:リンパ腫告知・・・2008年3月上旬

CT、MRI検査
大阪市東成区に、ネオベッツVRセンター があります。
ここは関西の動物病院では数少ない、最新のCT、MRI検査ができる設備があり、さらに、夜間午前5時まで急患を受け付けてる2次診療動物病院です。
検査には、必ず主治医の紹介状が必要です。(夜間救急は不要)

2008年3月上旬、 のCT、MRI検査のため、 犬生初の全身麻酔の日がきました。
その前日、私は
石切神社 に行き、お百度を踏んで、 が癌じゃないこと、検査が無事終わるよう、祈っていました。
検査当日には、東成区に住む私の母の弟(つまり私の叔父)がかけつけてくれました。
は典型的な昔ながらの柴犬で、飼い主以外の人間は、絶対に触らせるどころか、近づかせさえしなかったのですが、この叔父にだけはよく懐いていたのです。
幸い、3月に入ってからは、神経症状が収まっていました。
斜頸も異常行動もなくなり、元の
に戻っていました。
叔父の姿を見て、いつものように
は耳ペッタンで、大喜びでした。
の検査の順番がきました。
看護師さんに
を預けると、案の定、診察室から分離不安からくる の鳴き声が響いてきました。
しばらくすると、全身麻酔が導入されたのか、鳴き声も途絶えました。
検査が終わるまでの時間、待合室でずっと、不動真言と薬師如来真言を唱えながら、祈っていました。
検査は当初1時間ほどと言われてましたが、2時間たっても診察室から出てきません。
何かあったのではと、気が気でありませんでした。

リンパ腫告知
2時間後ようやく診察室から、 が出てきました。
まだ完全に麻酔から覚めておらず、ボッとしている感じでした。
すぐにネオベッツVRセンター の院長先生から診察室に呼ばれました。
そこではっきりと告げられました。

確定病名は、消化器型リンパ腫と。
CT、MRI検査後、麻酔が効いているうちに、針生検(バイオプシー)を実施。
低分化型の異形細胞が多数見受けられる。
肝臓、腎臓、脾臓に転移が見られる。
腸管にしこり多数。
さらに、脳内に脳出血を起こしていた痕がはっきりと見受けられる。
リンパ腫によって
DIC (播種性血管内凝固症候群)を起こし、
脳内出血したのであろう。
恐らく神経症状が出ていた時期に脳内出血してたのであろう。
今は出血は止まっているが、いつ再発してもおかしくない状態。
すぐにでも抗癌剤治療を開始すべき。
未治療では余命1ヶ月もない、
抗癌剤が効いても、余命半年~1年
半、 との衝撃的な内容でした。
2月末に、神経症状を起こしていた時、出血傾向からの脳内出血で、 強烈な頭痛と は闘っていたのでしょう。 彼らにものが言えたらと、つくづく思います。

パパ失神
衝撃的な告知を受け、恥ずかしながら、私は急に全身から冷や汗が噴き出してきて、サーチライトを目の前に当てられたかのように、目の前が真っ白になり、次の瞬間、ふ~~っと深い眠りに落ちていくような感じで、何かいい気分で落ちていきました。
後で聞くと、3分ほど気を失っていたそうです。
ネオベッツVRセンター の院長先生と動物看護師さんが、私の額と脇の下に冷却材を入れ、酸素吸入をし、応急措置をしていただいていました。
倒れていた時の記憶は、全くなかったです。
もう少し意識が戻らなければ、救急車を呼ばれるところでした。
ネオベッツVRセンター の院長先生に、帰ったらすぐに脳外科がある 人間の病院に行くよう、強く言われました。
帰宅するまで使うようにと、本来は動物用の酸素吸入缶を頂いて帰りました。
帰りの運転は父に頼み、
を膝の上で抱きながら、泣きながら酸素を吸っていました。
帰宅後、私のかかりつけの病院を受診、すぐにCT検査を受けましたが、結果異常なしでした。
恐らくリンパ腫告知のショックで、一時的に脳が低酸素状態になったのであろうとの診断でした。



第5章:抗癌剤治療開始・・・3月上旬~中旬


COP療法開始


翌日、VRセンター での検査結果を、主治医であるL動物病院のO獣医師に伝えました。
結果を聞いたO獣医師のお顔は曇っていました。


すぐに、COP療法という、抗癌剤治療が開始されました。
C=シクロフォスファミド、O=オンコビン(ビンクリスチン)、

P=プレドニゾロン(ステロイド)という組み合わせです。
オンコビンとプレドニゾロンは、点滴投与ですが、

シクロフォスファミドは錠剤です。


はこの錠剤を飲ませるのが一苦労でした。
ひき肉を買ってきて、すり鉢で薬と一緒にすりつぶして、針のない注射器で強制的に口に入れました。
こういう事をすると、飼い主であっても は噛み付いてくるので、
タンスの上とか高いところに上げて、固まらせてから大人3人がかりで投与してました。
(一方、弟犬の虎哲は、錠剤投与も目薬投下も、全く無抵抗で、非常に助かります。)


強烈な副作用


COP療法を開始して直後、 はすぐに水のような血便を出しました。

明らかに抗癌剤の副作用です。

それが何度も続きました。真夜中も排便に連れて行きました。

こんな状態でも決して家では排泄せず、玄関で鳴いて家族を呼ぶのです。


腸が破裂したんじゃないかと疑うほどの水状の血便でした。

この頃、朝だけでなく、夜もL動物病院で点滴を受けていました。
O獣医師は、腸なんて簡単に破裂しないから、心配いらない、

とおっしゃってました。


L動物病院の休診日の木曜日には、

夜間専門の動物病院である、寝屋川市のペットクリニックタニ さんで、

点滴をしてもらいました。

ペットクリニックタニ さんは、19時~24時まで診療されており

(金曜休診)、院長先生も非常に親しみ深い方で、

大阪府北部にお住まいの方は、知っておいていい病院だと思います。



続く下痢と嘔吐


引き続き食事も取らず、下痢と嘔吐も続いていました。
無理矢理にでもたべさせるため、病院から処方された完全に液体になった缶詰の処方食を、針のない注射器で口に入れ、強制給餌していました。


給餌したあと、頼むから腸まで流れて消化してくれ、と祈るような気持ちで時計を眺めていました。
でも、吐き気は止まりませんでした。
強制給餌してから、数時間経過していても、未消化のまま、缶詰のスープを吐き出していました。
更にスープに血が混じり、不気味なピンク色の液体を吐いていました。


体重もついに10kgを割ってしまい、見るも無残にやせ細っていきました。
お腹の激痛に耐えているのか、時々、背中を丸めて五体投地をするような姿勢で、キャンと鳴いていました。

私は、成田山石切神社 のお守りでお腹を撫ぜてやる事くらいしかできませんでした。



一時的に戻った食欲


COP療法を開始して1週間ほどたった頃、食事中の私のところに、

がやってきて、久々に何かくれ、というシグナルを送ってきました。
食べていたかやくご飯の鶏肉を与えると、約1ヶ月ぶりに、
食べてくれるではないですか。
ためしにドッグフードを与えてみると、ひさびさにカリカリフードだけでも、食べてくれたのです。


さらに、どことなく に元気が戻ってきたのです。
表情も活き活きとしてきました。

私は抗癌剤がやっと効きだしたんだ、石切神社 のお百度も効いたんだって、真っ暗闇だった前途に、多少の明かりが差し込みました。


後に知ったことですが、これはプレドニゾロン(ステロイド)の副作用の1つで、食欲が亢進するのです。

さらに、実際抗癌剤の効果で、腸管を閉塞するほど腫れていた腫瘍が、一時的に縮小し、腸に食べ物が流れだしたのです。


心霊科学的には、これは「中治り」という現象だったのだと思います。
死の直前、一時的に症状が軽快し、まるで治ったかのような期間が数日続くことが多いそうです。


意識不明だった人が一時的に意識が回復し、家族や知人に最後の別れの言葉や遺言を残せたり、
人生の最期に神が与える、ごほうびのようなものだそうです。


この調子だと、抗癌剤でリンパ腫をコントロールでき、寛解(症状的には癌が抑えられ、治癒したような状態、実際はがん細胞は顕微鏡レベルで残っており、再発する可能性は高い。)に持ち込めるのではないか。
寛解の状態で、2年以上生存している犬もいるという記事をネットで見つけ、わずかな希望がでてきたのでした。


犬の1年は人間の5~6年に相当する。
1日でも長く を活かしてあげようとの気持ちを新たにするのでした。



第6章:転院・・・3月中旬

絶望と希望
私の淡い希望など、すぐ打ち砕かれました。
すぐに
は元のように食べなくなり、血の混じった嘔吐と水のような血便を繰り返しました。
夜中も何度も排便の要求をされ、外に連れ出しました。
3月の大阪、まだまだ寒かったです。
雨の日の真夜中でも排便させに外へ行きました。
の嘔吐物と口臭に、尿臭がしました。
恐らく腎機能がほぼ失われていたのだと思います。
さすがの私も、
の死期が近いことを悟り、絶望感にさいなまれていました。
主治医のO獣医師から、3月いっぱいでL動物病院を退職するとの告知を受けました。
名古屋の動物病院へ移動されるとのことです。
それで、O獣医師から、
日本獣医がん学会 が認定する獣医腫瘍科認定医Ⅰ種の資格を持つ癌専門医が、すぐ近くの寝屋川市におられる。
そこに転院しないかとのお話を受けました。

獣医腫瘍科認定医というと、獣医でも癌治療のスペシャリストです。
特にⅠ種所持者は、全国でもまだまだ数が少なく、そういう専門の先生に診ていただいたら、抗癌剤の副作用のコントロールもうまくいくのではないか、とのお話でした。
私は即答し、その先生に最後の望みをかける決心をしました。
O獣医師は、詳細な紹介状を書いていただきました。

その日の午後、私は徒歩で、獣医腫瘍科認定医Ⅰ種の先生がいる病院を下見に行きました。
我が家から徒歩15分くらいの近くです。
ただL動物病院に比べ、非常に狭い病院で、獣医師もその先生お1人だけ、看護師もお1人だけという規模で、
失礼ながら、いざというとき、ここで手術とかできるの?
って思いました。 病院の下見から帰宅すると、 が満面の笑顔でシッポを振って迎えてくれたのが思い出されます。

Y動物病院転院
翌日朝一で、Y動物病院を受診しました。
症状とこれまでの経緯を聞いた先生は、
すぐにレントゲンとエコー検査をされました。
やはり脾臓が相当腫れていました。
脾臓破裂のリスクを無くすため、脾臓摘出をすべきだが、
今のこの状態では、全身麻酔に耐えられないだろうから、
オペはできないとの事でした。
結局L動物病院と同じく、COP療法と栄養剤の点滴が続けられました。
ただ、治療費は、L動物病院より4割くらい安かったです。

L動物病院では、癌に効くというアガリクスやら、サメの軟骨やら、
インターフェロンやらをやたら勧めてきました。
藁をも掴みたい思いの私は、勧められたものを、すべて購入して食べさせていました。

しかしY動物病院のY先生は、「そんなもん、いっさい効かん。
私の出身の
麻布大学 で調査した所、効いた例は0%やった。
ああいうのは業者が動物病院に売りにきよるんや。
どうしても飼い主が出してくれっていうのなら出すけど、
私からは治癒率0%のものは出さない。」
とおっしゃったのです。

この先生は、学問中心主義者で、決して金儲け主義には走っていないと感じました。
この先生に最後の望みをかけてみようと思いました。


抗癌剤の中止、尿の減少(死亡2日前)
Y動物病院でもCOP療法が開始されましたが、
引き続き血便と嘔吐という強烈な副作用が止まりませんでした。
さらに、多飲多尿状態で大量に出していた尿が、
3月10日前後から、ほとんど出なくなったのです。
何度も排尿をうながしましたが、1、2滴しか出ません。
Y先生によると、抗がん剤の副作用で膀胱炎が起きている可能性、
さらに腎機能が失われている可能性を指摘されました。
腎不全で尿毒症になると、強烈に苦しむという話も聞かされました。
そこでやむを得ず、抗癌剤の投与を一時中止し、
ステロイドのプレドニゾロン投与だけになりました。
さらに腎機能が維持されているか調べるために、
利尿剤が投与されました。
あとで知ることになりますが、この利尿剤が哲の死期を早めたことになるのです。

におしっこをしてほしい一心に、病院からの帰り道、、ひさびさに
淀川河川公園寝屋川太間地区 に車で連れて行きました。
そこに着く直前、決して室内や車の中では絶対に排泄しなかった
が、助手席でおしっこをおもらししました。
私はそれを見て、おしっこが出た、腎臓がまだ死んでなかったと、 一安心でした。
河川公園に出た途端、思いっきり大量のおしっこをしてくれました。
車の中で必死で我慢してたのでしょう。
利尿剤のせいとは言え、これだけの大量の尿が出るなら、腎臓はまだ大丈夫だって思っていました。

結局これが との病院以外の最後のお出かけになりました。
この日は死亡する2日前でした。


かすかな希望
その日の夜も、Y動物病院に連れて行きました。
真夜中に少しでも楽にしてあげようと、夜もステロイドの点滴をしてもらいに行ったのです。

その時Y獣医師から、かすかな希望が差し込むような一言をいただきました。
「この子、ひょっとしたら癌違うかもわかれへん。
リンパ腫やったら、これだけの症状出てたらもうとっくに死んでるで。
ひょっとしたら、膵炎ちゃうかと思うねん。」と。

もちろん膵炎も非常に怖い病気です。
でも癌の専門中の専門医の先生から、「癌じゃ無いかもしれん」って言われて、何か暗闇のトンネルの中に光明が注したように思ったのです。
膵炎であってくれ、L動物病院も、バーニー動物病院 も、VRセンター も、誤診であってくれ、って祈っていました。

アメーバの文字数制限のため、その2につづく。

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