上宮王家という名の持つ力を、入鹿は改めて見直す思いだった。これが普通の皇族であれば、官職からはずし、財を没収すれば勝手に没落していく。しかし、同じことをしても、情王家の場合は名が残るのである。どうしても抑え込みたいのであれば、厩戸皇子の長子たる現当主を亡き者にするしか方法はないだろう。

 入鹿は、かつて一つ屋根の下で暮らした山背王の顔を思い浮かべてあ。厩戸皇子の正妃に子がなかったため、蘇我大臣馬子の娘を母に持つ山背王は、厩戸皇子の後継として周囲に特別な目で見られてきた。それがいけなかったのか、いつの頃からか自分を特別な人間だと思い始めたようである。

 兄弟のいない入鹿は山背王を兄のように思っていたし、あちらも自分の弟たちよりも入鹿と気が合うようであった。

 斑鳩宮などに行かねばよかったのだと、入鹿は思う。あのままずっと蘇我の館でともにいれば、今頃お互いに助け合っていたことだろう。

 ― 助け合う。

 入鹿はふっと笑った。同母姉の子である山背王に情がある、と言った蝦夷の心情をいぶかしく思ったりもしたが、なるほど、自分の中にもかつて兄弟のように過ごした山背王への情があるらしい。

「入鹿殿、なにか楽しいことでも」

 刺すような口調に、入鹿は声の主を見た。いつの間に来たのか、中大兄皇子であった。

「別に」

 入鹿は目を細めて中大兄皇子をみおろした。入鹿から見れば、まだ成長途中の中大兄皇子はいろいろな意味で見下ろす存在であった。そのような入鹿の視線に耐えられなくなったのか、中大兄皇子は宝大王に視線を移した。

「私も今宵は叔父上と参ります」

「あ、いや」

 すぐに遮ったのは内麻呂であった。

「軽皇子はお出ましにはなりません。大王のおそばで大王をお守りするのも大事なことですので」

「しかし、皇族の者がだれも出ぬのはいかがなものか。叔父上のお出ましがないのであれば、なおさら私が参ろう」

「私も参るぞ」

 突如軽皇子が大声を放った。

「軽皇子、なりませんぞ」

「年若い中大兄皇子が参るというのに、大王の名代の私が参らぬわけにはいくまい」

 こうふんした様子の軽皇子に、舌打ちせんばかりの内麻呂を見て、入鹿は大声で笑い出しそうになった。

 これで今宵斑鳩宮を攻めるのは、大王の軍となった。それまでは蘇我の私的な軍が全面に出ていたため、朝参の場で詔が出ているとはいえ、下手をすると蘇我にすべての責任がかぶせられかねない状況であったのだ。

 内麻呂にしてみればあくまでそうしたかったであろう。そうすれば、上宮王家を潰した上に、蘇我に泥をかぶせることができる。その分阿部が政治の中枢に食い込む可能性が出てくる。それを、血気盛んな年頃の甥につられて自ら大王の名代を名乗るとは、軽皇子とはここまで中身のない皇子であったのか。姉の宝大王のほうがずっと人間的には大きいではないか。内麻呂は手を携える相手をまちがえたな、と入鹿は笑った。

 入鹿はまた、中大兄皇子を見た。頬を紅潮させ、目を輝かせている。最近は旻の講堂ではなく、請安の行動に鎌足と通っていると聞く。それは、鎌足が中大兄皇子に、この皇子に賭けようと思うほどの何がしかを見出したということか。

 しかし、入鹿が中大兄皇子に感じるのは、その器の小ささである。本人も周囲も、その血統ゆえに必要以上に器が大きいと思いたがっているようだが、若いというだけでは片づけられない行動の浅はかさが見える。上に立つ者は、言葉も行動も一度起こしてしまえば訂正はおいそれとできない。そこを自覚して一挙手一投足を考えねばならない。それなのに、軽皇子といい中大兄皇子といい、この軽挙はどうだ。

 大海人皇子が大王になればすべてが落ち着く。自分が磨き上げてきた珠を思い浮かべ、入鹿は満ち足りた気分になった。

 中大兄皇子は、入鹿の視線から自分がどのような評価をうけたか一瞬で感じ取った。それはそのまま入鹿への憎悪となった。

「中大兄、そなたは自分の部屋に戻りなさい」

 宝大王のきつい調子に、中大兄皇子はしぶしぶ退いた。

 

                        つづきます