
初は「松明の火だろう」と言って信じない人が大半でしたが、火の玉を見たと言う人は増え続け、夕方に成ると沢山の見物人が集まりました。そのの中には、火の玉を行方を追いかける事に決めた少年たちがいました。

少年たちはある日、火の玉を見つけてついて行った所、最初に作原の三滝へ連れて行かれました。

その後、動き出す火の玉を追っていくと、唐沢山、旗川、永台寺・仁王門、一瓶塚稲荷神社と回り、最後に行き着いたのが炭屋の大神宮さまでした。

この小さな神社は、ひとつの大きな神社にまとめられる事に成っており、この神社の神様が住みなれた土地から離れたくなくて知らせようとしていたのだと、少年たちは思いました。

少年たちの頑張りもあって、神社の取り壊しは中止になりました。すると9日間も出ていた火の玉は、それっきり出なくなりました。炭屋の大神宮さまは、いまでも野上の山裾にヒッソリと祭られています



