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Kotenjiのブログ

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後天時代の本当の意味と価値を理解し、ふさわしい生き方をしたい。
正午定着、影のない時代と言われているが...

最近はサンクチュアリ教会での驚くような出来事があり、「血統」ということを語るのも空しくなるような気もしました。その「血統」に生まれたはずの人の言行により、その「血統」自体の意味や価値が貶められる気がするからです。

ともかく、誰であれこの「血統」を信じて生きてきた人にとっては、あまり選択肢は残っていないかもしれません。つまり、この「血統」が本当に万民にとって良いものであり、重要な意味を持つものだということを示すには、その血統の「善の実り」を示す以外にはないのであり、むしろ付随して出てきた「悪の実り」(万民にとって良くないもの)のほうがはるかに多く見えているかもしれない状況の中では、とてもそれは難しいことのようにも見えます。しかし、意味を持って生き残るにはそれ以外の選択肢はないのではないでしょうか。

むしろ胡散臭い「本体」との関係を断ち切り、「血統」を受け継いだ一人の個人として、一つの家庭として、ひたすら実りを結び続けたほうが意味があることかもしれません。ただ、それは自分が信じてきた神様の「世界を舞台にした摂理的展開」と関係なく、独自に歩む道ということを意味するかもしれません。「世界を舞台にした摂理的展開」に繋がっていなければ不安というのなら、自分がそうと信ずる「世界的な摂理活動」につながりながら歩むという道もあります。

但し、「カイン子女」たる祝福家庭である以上は、「真の家庭」の「アベル子女」に繋がっていなければならないという理論を使って、何らかの方向に人を強制的に従わせようとするような時代はすでに終わっているはずです。各自が自分の「良心」の命ずるままに自由意思で行動を決定すべき時代だと思います。

そういう意味では、どのような団体であれ、自分が信じる何らかの「摂理的団体」に「入ればよい」というような発想では全く意味がなく、その団体に対してどのような関係を持って行くのかについては、それぞれが自分でよく考える必要があるでしょう。自分が信じてきた神様の意識はどこにどのように流れており、自分がどうすることが、その神様の願いの方向に一致しているのか、等々。

たしかに、育ってきた環境により、私も含めて、自分が「神様」やその「働き」と考えるものすら、「思い込み」か「盲信」のレベルの理解で止まってしまっているような、自分自身の傾向があるかもしれません。しかし、それでもできる限り客観的な立場に立つ努力をしながら、コツコツと「善の実り」を実らせつつ、いずれはたくさんの「悪の実り」をも何らかの形で整理できるような日を迎えるために、今何をすることがベストなのか。

ともかく、今どこの誰を希望にして生きている「食口」であろうと、客観的に現状を理解する誠実な努力をして、真剣に将来を考えながら、知恵を持って自分が本当に納得できる方向を選択すべき時だと思います。人生を終わる日に、「生きていてよかった」と心から思えるようにするためにも。
 

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