私の記憶遺産として華やかなりし頃の松尾鉱山をご紹介しております。
山遊会と云う行事もありました。標高1,000mの山の中ですから気候が良ければ自然、いっぱい満喫出来ます。
☝ 山遊会
自然の原っぱの中に仮設の舞台まで作って・・従業員みんなの愉しみでした。
☝ 山遊会
老いも若きも・・三々五々車座になって、楽しい一日を過ごすのでした。
■冬、スキーが盛んでした。ジャンプ、距離のノルディク競技が持て囃されました。これは松尾鉱山に藤沢良一と云うオリンピック複合競技の選手が赴任して来て、我々に大きな影響を与えたからだと思います。
☝ 鶉山スロープのジャンプ台 40m級・・だと云う。
☜ ジャンプのスタイル
腕を前方にかざして水泳の飛び込みのようなスタイルでした・・。
腕は太腿の横に置き、板はV字開脚のスタイルになったのは随分経ってからのことです・・。
■しかし、冬の生活は厳しいものでした。
標高千メートルの山のなかですから尋常な冬ではありません。
☜ 吹雪の中の通学
☜ 雪の中の郵便配達
幹線道路の除雪にはブルがでました。
☝ 当時の様子が・・良く描けていると思います。 (拡大してご覧下さい)