もう10年も前の事になります。ko_ten が勤めていた会社のOBで、w さんと云う先輩がおります。w さんはOB会で組織するサロンのML(メーリング リスト)に度々興味深い話題を投稿されておられました。
 
10年前の世の中も、最近の政治情勢と同様に、やり切れない鬱とうしさが広がり、皆、何か清々しいものを求めていたような気がします。そんな中、w さんが「企業の信義」と題する爽やかな話を寄せてくれました。
 
話しは、隼戦闘機から風力発電の風車に及ぶのですが、w さんのご友人が知らせてくれたという住友の会報に載っていた鈴木洋一さんの伝聞です。10年前に感じた爽やかさを今一度・・・と思いご紹介する次第です。
(因みに、私共が勤めていた会社は住友とは関係ありません。)
 
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             風力発電用風車  (三菱重工横浜製作所金沢工場)
 
             
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隼戦闘機のプロペラの特許料      鈴木洋一
 
     戦前の飛行機はプロペラ機だった。プロペラは初期の木製から後に
     金属製(ジュラルミン)に変わった。金属製には、性能向上のため飛
     行状態により取付角度が変化する可変ピッチプロペラがある。可変
     ッチの機構は米国ハミルトン社の開発で同社の特許となっていた。
 
     隼、零戦などはこの可変ピッチプロペラで、そのプロペラは戦前に
     ハミルトン社と技術提携をした住友プロペラ(現住友軽金属)が大部分
     を製造した。プロペラの設計には、陸海軍の指導の下に住友が開発し
     た新技術も勿論沢山含まれたいたが、ピッチ変化機構にはハミルトン
     社の特許を使用した。
 
     終戦に当たり財閥解体前の住友は逸早く、国交断絶後のプロペラ
     生産をハミルトン社に通告し、特許料支払いを申しでた。
     先方の請求額によっては会社の存続さえ危ぶまれ、加えて外貨調達
     も困難な状況だったと聞く。
 
     恐る恐る聞いたハミルトン社の返事は「特許料は厳正に頂戴します。
     請求額は差し引き1ドルです」だった。お蔭で会社は潰れず、戦後の
     復興に邁進できた。
 
     現役時代に私もハミルトン社と付き合ったが米国企業には珍しく浪
     節的なところのある会社だと思った。ある時、ハミルトン社幹部に前記
     伝聞を話したら、「ハミルトンは驚いたよ。米軍も捕獲したゼロ戦など
     から多くの技術を借用した。工場は灰墟に帰し在外資産全部を失った
     旧敵国企業が、まさか特許料精算を申し出るとは思いも寄らず、その
     律儀さに感動した。企業の信義を住友に学んだ」と言われた。浪花節
     的と私が感じたのは、先方がそんな気持ちで接してくれたためかも知
     れない。
 
     ジェット機時代になって、ハミルトンのプロペラ売上は伸び悩んでいる。
     今は住友と共に風力発電に力を入れていると聞く。両社の発展を祈り
     つつ、伝聞を紹介する。
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w さんからこのメールを戴いたのは2001年6月10日のことです。ついこの間とばかり思っていたのに10年も過ぎているのですね・・・何と月日の経つのは早いことよ。