11月文楽公演『双蝶々曲輪日記』取材のため、
八幡市を訪れました。
「八幡里引窓の段」ゆかりの石碑が
京阪電車「石清水八幡宮駅」前のロータリーにあります。
由緒書を引用させていただきます。
引窓南邸の碑
碑文
正面 「引窓南邸跡 西二丁 常昌院 南一丁 神應寺」
裏面 「昭和二年九月 京都 三宅安兵衛依遺志建之」
人形浄瑠璃の演目「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の有名な場面に、
八幡の里が舞台の「引窓」があります。寛延二年(1749)より度々上演されてきました。
引窓とは、紐を引いて開閉する天窓のこと。母が後妻に入った南氏の邸宅で、
追われる実の息子と、捕縛(ほばく)の役目を負いながら葛藤の末に見逃す義理の息子の
人情を描いたストーリーは、放生会(現在の勅祭・石清水祭)が行われた八幡市八幡高坊周辺にあった家を
モデルに着想したと伝わります。
八幡市
石碑は昭和二年頃、現在より約50m西側に建てられましたが、平成28年現地に移設しました。
引用終わり
この石碑のことは古書や、古い文楽のプログラムを読んでいたので、知っていましたが、
私の頭の中には、元にあった民家の前の石碑が刻まれていて、まさか駅前に移設しているとは思いませんでした。
それを知ったのは、行った当日。つまり昨日の朝でした。
Google Mapで「引窓南邸跡」と検索すると、バスのロータリーの前に石碑が立っていてビックリ。
ほぼ京阪電車を利用することもない私は
駅名が「八幡市駅」から「石清水八幡宮駅」に改名していたこともビックリでした。
さて、なぜ昭和二年にこの石碑が建てられたかということですが、
名作散歩『歌舞伎と京都』(京都新聞社刊)によりますと、
この年の7月、人形浄瑠璃が京都・南座で「引窓」を上演し、
この石碑に刺激されたのか?
12月の歌舞伎の顔見世でも「引窓」が上演されているらしい。
昭和2年は「八幡の里」の当たり年だった。
と記載されています。
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