夏に母と会った時。
夫は早々に寝室へ行き、
化粧やら子ども達の大学や
2号の汚部屋加減、
母の従姉妹達の具合など
多岐にわたる雑談タイム。
夫は話の転換が早すぎて着いてこれず、
いつも途中から魂が抜けている
たぶん、女性特有な暗黙の了解だったり、
話しながら感じたったりは、
男性は苦手なんだろうな
途中、1号との会話を思い出し、聞いてみた。
「祖父母が結婚した時、祖父はなんの仕事をしていたの?
1号に聞かれて、知らなかったなぁと。
『きっと、戦後まで何もしていなかったんじゃない?』と言われたんだけれど‥ 」
母は一瞬言葉に詰まったが、
「ふふふ、そうよね。聞いた話だと、実家(東京の商家)の役員として、一つの工場を任されていたらしいの。」
えーーー、任されていた?!![]()
大学でてから、遊んでいた話ししか知らない。
「当然、なんにも出来ないし、知らないから。時々、出社して、場内をぐるりと回って、工場長から報告を聞いていた程度だと思うわw。」
他の兄弟も、そんなだったのだろう。
だから、経営は誰もできず、番頭さんに継いでもらった。
男四人兄弟、誰も継げな〜い![]()
みんな、大卒なのにw
曽祖母は非常に厳しく、近寄れない人だったそう。
どうも会社を実質経営しており、
曽祖父も趣味に生きていたぽいし。
なので、祖父達は婆やさんに甘々に育てられた。
祖母も婆やと姐やに、ゆるく育てられていたから、どんな新婚生活?
あ、疎開時にも姐やを連れて行った?
いや、その人は帰る実家に、自分の居場所がもうないからと、着いてきたそう。
10歳程度で奉公に出されて、毎月仕送りしていた人なのに‥
「時代だね〜。」
「◯◯叔父さん、知っているでしょ?
番頭さんに継いでもらい、遺産の分配をしてもらったんだって。
そうしたら… (笑)」
早よ、続きを
「『◯◯さんは、ギャンブルの借金の立て替えがありますので』って、ちゃんと引かれていたんですって!」
二人して大笑い。
結局、戦前からその分けてもらったモノで、暮らしていたらしい。
やっぱりね〜!
戦後は、賃料を祖母が徴収に行っても、皆さん払ってくれず、
二時間近くかけて行って疲れるだけ。
「だから、祖母が二束三文で売っちゃったのよね〜。」
今や通勤圏内で、タワマンもあるし。
都内の物件は、実家より高級住宅地w
祖母らしいし、明治生まれの祖父も文句言えない
戦後は、兄弟の一人と会社を起こし、
生活をしていくようになった。
基本、あまり変わらない性格だったけれどね
1号に報告した。
「すげーーな!笑」
どれもこれも小説かドラマか?と聞きたくなる、昔むかーしのお話。
軽井沢は、祖父が受け継いだ土地。
なんとか私も子ども達![]()
に渡せるようにと、思っている。
その後は知らない〜
好きにして〜