お伽草子かも | 子ども1号2号と夫とわたし

子ども1号2号と夫とわたし

私大理系院生1年生①号と附属上がりの私大文系2年生②号との生活をメインに。

パパは、ママ孝行を開始!
地方で国立小のお受験して、東京で中学受験、ついに最後の大学受験・内部進学、院進まで来ました。

夏に母と会った時。


夫は早々に寝室へ行き、

化粧やら子ども達の大学や

2号の汚部屋加減、

母の従姉妹達の具合など

多岐にわたる雑談タイム。

夫は話の転換が早すぎて着いてこれず、

いつも途中から魂が抜けている

たぶん、女性特有な暗黙の了解だったり、

話しながら感じたったりは、

男性は苦手なんだろうな




途中、1号との会話を思い出し、聞いてみた。


ニヤニヤ「祖父母が結婚した時、祖父はなんの仕事をしていたの?

1号に聞かれて、知らなかったなぁと。

『きっと、戦後まで何もしていなかったんじゃない?』と言われたんだけれど‥ 」


母は一瞬言葉に詰まったが、

おばあちゃん「ふふふ、そうよね。聞いた話だと、実家(東京の商家)の役員として、一つの工場を任されていたらしいの。」


えーーー、任されていた?!ポーン

大学でてから、遊んでいた話ししか知らない。


おばあちゃん「当然、なんにも出来ないし、知らないから。時々、出社して、場内をぐるりと回って、工場長から報告を聞いていた程度だと思うわw。」




他の兄弟も、そんなだったのだろう。

だから、経営は誰もできず、番頭さんに継いでもらった。

男四人兄弟、誰も継げな〜い笑

みんな、大卒なのにw


曽祖母は非常に厳しく、近寄れない人だったそう。

どうも会社を実質経営しており、

曽祖父も趣味に生きていたぽいし。

なので、祖父達は婆やさんに甘々に育てられた。

祖母も婆やと姐やに、ゆるく育てられていたから、どんな新婚生活?

あ、疎開時にも姐やを連れて行った?

いや、その人は帰る実家に、自分の居場所がもうないからと、着いてきたそう。

10歳程度で奉公に出されて、毎月仕送りしていた人なのに‥


ニヤニヤ「時代だね〜。」


おばあちゃん「◯◯叔父さん、知っているでしょ?

番頭さんに継いでもらい、遺産の分配をしてもらったんだって。

そうしたら…   (笑)」


真顔 早よ、続きを


おばあちゃん「『◯◯さんは、ギャンブルの借金の立て替えがありますので』って、ちゃんと引かれていたんですって!」 

二人して大笑い。



結局、戦前からその分けてもらったモノで、暮らしていたらしい。

やっぱりね〜!

戦後は、賃料を祖母が徴収に行っても、皆さん払ってくれず、

二時間近くかけて行って疲れるだけ。


おばあちゃん「だから、祖母が二束三文で売っちゃったのよね〜。」

今や通勤圏内で、タワマンもあるし。

都内の物件は、実家より高級住宅地w

祖母らしいし、明治生まれの祖父も文句言えない


戦後は、兄弟の一人と会社を起こし、

生活をしていくようになった。

基本、あまり変わらない性格だったけれどね



1号に報告した。

笑い泣き「すげーーな!笑」

どれもこれも小説かドラマか?と聞きたくなる、昔むかーしのお話。




軽井沢は、祖父が受け継いだ土地。

なんとか私も子ども達ニヤリチューに渡せるようにと、思っている。


その後は知らない〜

好きにして〜