こたつの子育てや介護や武術やカラオケや…あれやこれや(笑)
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どうも、こたつです。

 

 

子供を愛しまくっちゃってる親ばかな自分としては、台湾でみつかった4800年くらい前のものとみられる嬰児を抱いた母親の化石が発見される、っていう記事を見たとき、

 

ああ、わかるわぁ」って思いました。

 

こどもを抱いたまま死ぬ、ってことは、おそらく普通の死に方ではなかったのでしょう。

 

 

周囲では子供5人を含む48体の人骨が発見された、というから、何か大きな災害が起こったのだろうと推測できます。

 

 

人がどうしようもない環境において、一番最後に望むことはなんでしょう?

 

 

お金を手元においておいてもしかたがない。

 

 

最後は愛する人のそばにいたい

 

 

今の僕で言えば、奥さんと子供と抱き合って、最期の時を迎えたい。そう思うでしょう。

 

 

 

災害で命を落とす無念…。愛する人を守ってあげられない無念。

 

 

でも、最期に愛する人のそばについてあげられたのは、せめてもの、

 

 

ほんとにせめてもの救いであり、最高の幸せであったことだろうと思います。

 

 

きっと、多くの人はそれすらもかなわないことがほとんどなのだから…。

 

 

 

さて、今日は前回に引き続き、ナンバ歩きについて語っていきます。

 

 

 

実践編に入る前に、少し語っておきたいことを思い出しましたので、先にそっちを書いておきます。

 

 

現代の日本人は歩くとき、手足を交互に振りますね。

 

 

しかし、甲野善紀さんの自説では、江戸時代以前の人たちはそのような歩き方をしていなかった、といいます。

 

 

 

正直、それを聞いた僕は「いくらなんでも、そりゃないだろう」と思ったのです。

 

 

甲野さんの説では、明治以降、体育に西洋の方式をとりこみ、行進を取り入れてきたことで現代のような右手と左足、左手と右足を同時に出す歩き方に変わった、というのですが

 

 

そもそも、僕らは学校で行進なんて教わる前から、すでに歩くときはそのように歩いているではないか。

 

 

人間なら誰しも、自然にそうなるものだ。

 

 

 

そう思っていたのです。

 

 

 

しかし、この写真を見てください

 

 

 

 

これはわが子の最近の写真です。

 

 

ようやく歩くことができるようになり始めました。

 

 

 

 

 

赤ちゃんがようやく歩き始めたそのとき、果たして手を振って歩いているでしょうか?

 

 

手はバランスを取るように使い、決して振ったりはしていません。

 

 

何言ってんだ、あかちゃんなんだから当然だろ?

 

 

そう思うかもしれません。

 

 

そうです、当然です。

 

 

しかし、どうですかね?

 

 

 

じゃあ、いつから我々は手を振って歩くようになったのでしょう?

 

 

僕は、手を振って歩く、という行為そのものが、人間が成長の過程で身に着ける後天的な動作である、と思うのです。

 

 

 

自然とそうなった、のではなく、後天的に身に着ける技術ということです。

 

 

 

わざわざ身に着ける「技術」なのですから、当然身に着けるべき理由、メリットがあるはずです。

 

 

 

手の動きはバランスを取るために使う、ということが赤ちゃんを見ていればわかります。

 

つまり、手の振りというものは歩く速度を手に入れるために、バランスを取るために必要な技術である、と考えることができます。

 

 

手の振り、それは自然なものではなく、技術である、とまとめておきます。

 

 

そのうえで、ナンバ歩きを見てみましょう。

 

 

もう一度わが子が歩いている写真をよく見てください。

 

 

同じ側の手足が同時にでていますね?

 

 

これは、あかちゃんが自分の体幹、中心の軸を固定して手足のみで前進する、という行為がまだできないため、

 

 

右足を前に出すとしたなら、右腰、右肩をつらぬく右側の軸を全部前にだして進む、ということをするわけです。

 

 

これこそがまさにナンバ歩きです。

 

 

まだ満足に歩けない赤ちゃんの歩き方はナンバ歩きになっている、ということです。

 

 

 

しかし、成長するにしたがってその動きは消えていく。

 

 

なぜか?

 

 

成長するにしたがってバランスが安定してきて、手をある程度自由に使えるようになっていくためだと僕は考えます。

 

 

 

逆に言えば、バランスが安定していれば、ナンバの動きは必要ない、ということもできます。

 

 

 

では、甲野さんがいうように、もし昔の日本人が仮にナンバ歩きをしていたのだとすれば、

昔の日本人は赤ちゃんなみに成長が遅れていた、ということなのでしょうか?

 

 

 

僕は、逆に、さらに後天的に体に身に着けさせた技術である、と考えています。

 

 

 

つまり、本来なら子供から成長してバランスが取れるようになり、手が自由に動かせるようになればナンバの歩きは必要ないわけです。

 

 

 

おそらく、ナンバの歩きをしていたのは、昔の日本人みなそうであったのではなく、技術としてそれを必要とした職業の方々だったのではないでしょうか。

 

 

 

ただ、日本の衣類のつくりの上で、やはりナンバの動きをした方が衣類が崩れにくい、という性質も加味してみると、それが他の民族と比べると、かなり多くの人に浸透していた技術であるということも考えられます。

 

 

 

そもそも、スポーツとして走る、ということを昔の日本人はしてはいなかったと思います。

 

 

日常の生活の中で走る必要性があるのは、災害などの緊急時、あるいは戦いのとき、盗人などを追いかけるとき、遊ぶとき、飛脚などの職業として、などが考えられます。

 

 

 

生活の中で走るとき、手に何か持っていたり、あるいは肩に何かを担いだりしていることが多く、手を振ることができません。

 

 

あそんだり、災害時には走るでしょうが、普段から走るという訓練をしていない、つまり走り方を特別に訓練していない日本人がもし走るとするなら、はたして現代人が100m走で走るようなスタイルになるでしょうか?

 

 

それはないな、と容易に推測ができます。

 

 

では、どうやって走るというのか?

 

 

おそらく、訓練を受けていない人が必死に走るなら、手は鬼ごっこで誰かを捕まえようと前に伸ばすようになるのではないか、と思います。

 

 

 

前に行きたい気持ちが、手を前に持っていくことでバランスを取ろうとするためです。

 

 

 

もっというと、手を伸ばす→重心が前に行く→速く走れる…気がする、ということです。

 

 

 

もっとも、走っているときにはそこまで考えていなくて、ただ無意識にそうなっていたということになるのでしょうが。

 

 

やはり、昔の火事を描いた絵などでは、現代人のように手を振って逃げている人は一人も書かれておりません。

 

 

歩くときはともかく、走るに際しては昔の日本人は手を振って走る、ということはしなかった、と考えることができます。

 

 

これをみてみましても、決して手を振って歩く、あるいは走るということが、人間の生来の、自然のものではない、ということができるのではないでしょうか。

 

 

では、前回の予告に反して、実践編ではなく考察編になってしまい恐縮ですが、実践編は次回に回しまして今日のところはここまでにしておきたいと思います。

 

 

【追記】

youtubeにも

わが子の動画を徐々にアップしております。

足をのばしていただけると嬉しいな!


https://www.youtube.com/watch?v=rjD-UD3RXJI