今、昼食を摂りながら、坂上忍さんの番組を見ていました…



「福井・中2自殺」を取り上げています




担任、副担任の執拗な叱咤があって、校舎から飛び降り自殺したとか…



それで私が思い出した事



うちの息子
中3の夏休みに東京から大阪に引っ越しました。
中3の夏休みに引っ越し…
高校受験も控えているのに…
でも、そのタイミングで引っ越しするしか無かった…あの時は…




東京から大阪、言葉も環境もまったく違う場所で、息子は上手くやっていけるのか心配しましたが、幸いにも転校した中学校にすぐ馴染み、友達もできて、東京に居た頃と同じように明るく毎日登校し、大阪の家族とも楽しく暮らせ、高校もなんとか公立に受かり「よかった!」って私は本当に心から喜びました。




しかし高校では知らない子ばかり、
中学の時と違って、毎朝緊張気味に登校する息子でした。




そして…あのきっかけが…



うちの息子は体育会系ではありません。
運動やスポーツを、やればできるだろうし、やれる体格もあります。 
でも、運動が嫌い。
だから体育会系の部活もやってませんでした。





不安そうに通っていたある日、
息子が帰ってきたと思ったら、玄関から入ってすぐのところで崩れるように座り込みました。
「どうしたの?」
「嫌な事があった」
「え!何?」
「今日、初めての持久走があったんだけど、俺さ、ドベだったんだよね、でもゴールはした、ゴールしてへろへろになってたらさ、体育の先生が、
何やっとんねんw体力なさすぎw
しっかりせーやーwってゲラゲラ笑いながら俺に言ってきてさ、そしたらクラスのみんなもゲラゲラ笑ってさ…みんなに笑われて、俺、嫌になったわ」って…息子の目から涙が。



関西弁…時には面白く聞こえますが、時にはグサ!ってくる
関西人のツッコミ…時には面白いですが、そこはツッこまんでええわ!って時もある。



私も若い頃は関西のバイタリティについていけなかったので息子の気持ちは痛いほどわかりました。
今は何か言われたら、は?かかってくるんか?ボケ!って返せるまでになりましたが、そんな強い気持ちになれるまでかなりの時間がかかりました。




私が若い頃は 、ヘナヘナしてたら
歯をくいしばれ
泣き言を言うな
情けない事を言うな
しっかりしろ!
ってきつく叱られた時代でした。
学校の先生もよく生徒を殴っていたし、
先生に殴られても親は何も言わなかったし、反対に泣いて帰ってくるなと言われるような時代でした。



でも、今は違う。




息子に
「関西人ってさ、悪気無く思った事をすぐ口に出してすぐ忘れる、そんな感じ。
だから今日、お前がみんなに笑われて、お前が辛かったのは母ちゃん凄く良くわかるけど、お前を笑ったみんなはお前を笑ったことなんかもう忘れてるよ。
だから、傷ついただろうけど、お前も嫌な事は早く忘れてしまい。

スポーツができる人はスポーツができない人の気持ちは分から無い、勉強ができる人は勉強ができない人の気持ちが分から無いってあると思うよ。
その体育教師は運動が苦手な子どもの気持ちが分から無いのかもしれないよ。

試合でもないし、陸上選手でもないお前が、どんなに時間かかってもゴールした事を、褒めても笑うことではないよね。

日頃全然運動しないのに良く走りきったよね、頑張ったじゃない!
今日のお前みたいな理由で、笑い者にされてる人がいたら、それ違うだろ!って言ってやれば良いよ。
人を笑い者にしたらダメだって、身をもって経験したってことじゃない?」 
と話したら
「うん」と頷いて涙を拭った息子でした。




知らない子達とまだ交流もできずに、不安な気持ちでいっぱいな時に、笑い者にされたら、そりゃ情けないよね。
 


綺麗事な言葉を並べて慰めても所詮綺麗事



「傷は浅いぞ!」って両手で傷を抑えても、どれぐらい深い傷なのか、わかりゃあしない。




あの日から彼の心から血が滲んで…
今も滲み続けてるのかな…






高校生になってすぐにそんな事があり、
それでも息子は1日も学校を休みませんでしたが、高3の夏休みに
「もう無理」って部屋に入ったきり出てこなくなりました。




何度も何度も部屋から出そうとした私
出てこようと努力する息子



しかし
愛情と憎しみの交差
2人きりの葛藤 
最後には過去を恨む言葉しか吐かない息子




長い間、親子間の葛藤があると
疲れきって…
「いなくなってくれたらいいのに」って
残酷な気持ちになる時があります。


 
 
中2の彼は
親と葛藤する時間も持たず、親に温度を感じる時間も与えず旅立ちました。
 残された者は彼と話し合う事も、彼を抱きしめることもできない。




生きてこそ、何かがわかり、理解し合って
いつか手を繋げて、その手の温もりを感じれるのかも。





中2の彼のご冥福を心より願うとともに、
彼とご家族の気持ちが少しでも早く救われるよう願うばかりです。



 


生きなきゃ
そう思う午後でした。





ご訪問ありがとうございます🙇‍♀️
後少し、無理なさらず頑張ってください🙇‍♀️