前回の続きです。
考え方の違いから書いていきたいと思います。
例えば夫婦で生活していて、お互い風邪をひいているとします。
御飯を作らないと食べるものがありません。
奥さんに、私しんどいから何か作ってよ!と言われたとします。
僕もしんどいのに作りたくないってのが本心です。奥さんにも、しんどくて動けないから嫌だと言いました。
でも、奥さんに強く言われ、仕方なく作りました。
その後、奥さんにありがとうとお礼を言われました。
ここで反応が分かれます。
①褒められたからしんどくても作って良かったと思う場合。
②褒められたけど、しんどい方が強くてお礼を言われても嬉しくなかった場合。
同じ事をしても、その後に残る何かが違います。
これをリハに例えると
動くのが嫌な人になんとか説得して動いてもらった後に
①動くのはしんどかったけど動いて良かったと思う場合。
②動いたけど、ただ疲れただけと思う場合。
同じ事をした場合でも、②の方ばかりの終わり方だと効果が全く違います。
動きたくない人に厳しく接した場合、動いてはくれることはあっても、ほぼ②の終わり方になります。
夫婦間でも同じように、どれだけ信頼関係ができている人でも、言い方や終わり方を間違えると台無しです。
基本的に、あまり本人が望まない事をしてもらえたとしても、達成感より嫌な気分しか残りません。
そこをどんな風に意味のある①に持って行くかを疎かにしない方がいいと思ってます。
相手の気分は日により変わる場合もあり、その日の体調によっても違います。その時々に合った対応、評価は身体面の評価よりは精神的な評価になるんだと思います。
同じ言葉を言われても、その日の自分を取り巻く環境によって捉え方も毎日変わります。
上手く介入して結果を出す人は精神的な評価が優れた人だと思っています。
昔は徒手や技術が優れた人が結果を出してるんだと思ってましたが、それだけではなんとかならない方が多い。
1番尊敬している先生は、今思えば技術的な面もそうですが、精神的な評価に長けていたんだと気付きました。
言霊って、昔から日本で言われているように、人の言葉にはもの凄い力が込められています。
何気なく言っている言葉でも実はすごい意味が込められていたりする事もある。その言葉の意味を、常になんで?って考えるようにしてます。
利用者さんが、毎回バイタルにも所見的にも異常もないのに、しんどいから動きたくないと言う。周りはさぼりだと言うかもしれないけれど、しんどいと思わせる何かがあるんだと思います。
動きたくない理由が、動いても何も良いことがないと思って、ただしんどいと言っている場合もある。
諦めているから動きたくない人もいたり、動いてはくれるけど諦めたままの人もいる。そんな人にも障がい需要を促してる場合もあるんですよ?
夢を諦めた人に、今の現実を受け入れろよ!って追い討ちをかけていることと同じになります。
なので、動きたくない人をなんとかして動いてもらう方法を探すより、動いたらこの人にとってこんなメリットがあります!と言う事を強く説明する必要があります。
コピーペーストの様な関わり方や説明の仕方だと限界があります。
当たり前のような事かもしれませんが、人との関わりが上手い人は毎日の相手の変化を捉え、細かな対応ができる人なんじゃないかと思います。
今介入している利用者さんで、歩いてもらった後しんどいしんどいと言います。その後に必ず、こんな病気になってつまらんなと言います。
本心かどうかはその人にしかわかりませんが、こちらから見れば、しんどいのをどうしようもない病気のせいにしています。
それが最近、しんどいとは言うものの、病気になってつまらないとは言わなくなっています。
病気のせいだと言わなくなってから、身体機能面も向上しています。
これは何故か?何か関係があるのか?今自分なりに評価をしていますが、やはり言葉の意味を捉えるのはなかなか難しいです。
在宅で関わると、慢性期の方がほとんどです。その中でも、何かが良くなっている人の傾向は
前向きな言葉を言うようになった人のような気がします。
あるいは、マイナスの発言をしなくなったり少なくなってきた人。
今担当している人で何かが良くなってきている人に共通している事がこの二つなんです。
それが本当に関係しているのかどうか、まだまだわからないことだらけで。
本当に障がい需要が必要な人が上手く需要し、前向きになってからの回復がすごい人もたくさんいるみたいですね。
三年程前からリハでいう精神的な評価ではなく、そもそもの心理的な物や言葉に関する事に興味を持って調べてますが、楽しい反面難しい事だらけで。。。
人って難しいですね。