賽は投げられたのです。 | 生き残りの私の呟き

生き残りの私の呟き

自死遺族の私が
笑って過ごす
。:+((*´艸`))+:。
ソロ活動ブログ


あらゆるものを
奪われた人間に残された
たった一つのもの。

それは与えられた運命に対して
自分の態度を選ぶ自由。
自分のあり方を決める自由である。


暗闇の世界を体験します。

その世界で
頼りになるものは何なのか。

誰かの
顔色を伺う必要のない世界で
私は何を見るのでしょう照れ

他者が私を
どう思うかより

私が
どう思うかに重きを置いております。

「好きこそ物の上手なれ」ってねおねがい



「真まことに一擲を成して乾坤を賭とす」

家族3人の自死。

乗り越えるとか。
乗り越えられたとかではなく

賽は投げられた。

どんなに
後ろ髪を引かれても。

後戻りも
白紙にもできないのです。

一か八か。伸るか反るか。


愛犬の体調が一進一退を
繰り返し

穏やかに過ごせる刻もあれば

糞尿まみれ。血まみれで
雄叫びを上げる小夜もあります。

2~3歩あるけば
ひっくり返りますが

私が手を貸さずとも
自力で起き上がり
不格好な体制で立ち。

自分でバランスを取りながら
歩を進めております。

どうしても起き上がれないときは
鳴いて声を上げます。

生きるって。
ええ格好できないのですね。


「見るべき程の事をば
見つ今はただ自害をせん。」

入水自殺を図ったとされる

平知盛が最期に遺した言葉と

されています。


自分の人生で

味わわなければならないものは

全て味わい尽くしたと。


彼には。まだ見ていないものがあった。

味わっていないものがあった。


明日。


明日の自分を見ないで済んだのは

彼にとって幸か不幸か。

しる由もない。



月に一度。

あしなが育英会のレインボーハウスに

足を運ぶこと数回。


職員の方から

「すでにベテランの風格が」との

お言葉を頂きました笑い泣き


そうなんです。

成りは小さいですが

態度は大きいのですニヤリ


子ども達に何かを教える場では

ありません。


大人の思惑も。企みも。

邪な心。


無粋で

風流なきもの。


野暮であります。



理不尽で不条理な世界ですが

それが

あたりまえと思いたくありません。


正義などではなく


私の流儀に反するのです。



今月も。

その場に足を運べる私で好かった。


どこかに

後ろめたさや

やましさが残っていたら

きっと足を運べなかったことで

ありましょう照れ



その場も。

この場も。

あの場も。


命と関わる。


仮初の恋。


恋するオナゴは綺麗になると

申しますゆえ


生き甲斐など

見つかりませんでしたが


恋多きオナゴには

死に甲斐が

ありそうなんですラブ


最後まで読んで頂き

ありがとうございますおねがい


恒例となっている

やりたい人だけが集う。

仕事帰りの桜を見る会。



ライトアップもなく

街灯も少ないため

日が暮れますと笑い泣き



ランタン持参ですニヤリ

この日の桜に

物足りなさを感じましたので

同じ場所で第2弾チュー



この公園は開拓され整備される前は
様々な原始林に覆われ
沢山の命が宿っていた
広大な森でした。

まさに獣道しかない
樹海。

父親が
その森の一部になるかのように
朽ち果てた場所でもあります。

やっぱり

歌うよねチュー


さくら。さくら。弥生の空に。
さくら。さくら。はな吹雪。

父親の他界後から
数々の醜態を晒してきました。

彼方から出向いている身。
それも芸の肥やしとなりましょうてへぺろ

艶がる(えんがる)

仇(あだ)も
あだっぽく振る舞って参りましょう。

しかし
女前やなぁ笑い泣き