自己完結 | 生き残りの私の呟き

生き残りの私の呟き

自死遺族の私が
笑って過ごす
。:+((*´艸`))+:。
ソロ活動ブログ

我が家では父親の話は禁句だった。

父親の話題になると
私たち姉弟が不機嫌になる。
だから母親は
父親の話はしない。ふれない。

特に父親が旅立った時
小学生だった末っ子の弟は
お墓参りさえ拒否し
1度も訪れた事がない。

互いの痛みに触れないよう

よそ行きの顔をした家族。


それでも時折
母親は父親の話をポツリとした。

当時
父親に母親以外の女性がいた事。

その女性を訪ね
3人の子供は
自分が引き取って離婚する。と
話した事。

父親が旅立った後
どこを探しても結婚指輪が見つからなくて
その女性の家にあった事。

どうりで
父親が何日も家に帰ってこない日が
あった訳だえー

母親は旅立つ前
自分の荷物を綺麗に処分していた。

仏壇までびっくり

父親と弟の位牌だけは
段ボールに突っ込まれていた。

その段ボールには
私が目にした事のない物が
色々入っていた。

父親が最後に残したメモ。
38年前の。





読んだ感想は
「ふ・ざ・け・ん・なっ」
以上笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き


母親が父親について話した中に

父親が発見された時。
警察から「珍しいです」と
言われたらしい。

何故なら
父親は10メートル以上はある
木に登っていた。

その高さから見えるのは

私達が暮らす団地の4階の
ベランダ。



ここに写る
私以外の
3人は揃いも揃って
不器用すぎる。

母親は旅立つ数日前に
私と大喧嘩した事を
このように日記に記していた。




失った?
私は少しばかり激しい
親子喧嘩程度にしか
思っていなかったのにプンプン

3人とも
互いの心を確かめず
勝手に答えを出して
自己完結。

答えを出すのは自分だが
答えを出す前に
確認しろよっえー

手がかかる人達。

それゆえ愛おしい。

私は1日で私になった訳ではなく
膨大な日数を経て
今の私がいる。

すべてをありのままに受け入れた時
痛みは消えなくても
それは苦しみではない。

私は自分が思っているほど
弱くも強くもなかった照れ

最後まで読んで頂き
ありがとうございますおねがい


命を削り文字にし
書くことで自分と向き合い
何かを必死に捜している方達がいる。

傷つけないで
傷つかないで。

命を削って
書く言葉。誰かを傷つける事に
使うのは勿体ない照れ

横浜は大雨。
あの方の大粒の涙かもしれない。