3,11

忘れられない。

実際現地で震災を経験していないが、

俺はその時に鎌倉にいた。

 

震災が起こった時

ちょうど洗車の作業中でゆれを感じないほど動いていたが、

それでも揺れた、しかも長い。

これはまずいことになるとおもった。。

 

そこから流れ込んでくるお客さん

やっとひと段落して携帯をみたら嫁さんから電話。

停電で怖いと。

急いで家に帰りただ、暗闇の中妊娠中の不安な嫁さんを

落ち着かせ、ラジオから流れてくる被災状況に耳を傾ける。

津波だ。福島、仙台、岩手で街ごと流される。

福島第一原発も爆発がおきたと。

それまで平和的なのらりくらりタイプの俺には

現実を理解するのに時間がかかった。。

夢であってくれ。。何度も祈る。

 

3年間苦楽をともにしてきた仲間との卒業の打ち上げもできず、

生活が一変した。

ただ、人間というのはある一定の生活が戻ったら

どんどんその時のつらさや思いが薄れていくやっかいなもの。。

 

俺が被災地に行ったのは

震災から2年半後の2013年の秋。

仙台に仕事で転勤になり、

南相馬市、双葉町、松島、石巻、気仙沼、大船渡

これらの場所に行く機会があり現実を見たときに

2年半で都会はもうほとんど戻っているのに

この町はあの時のまま。

言葉を失ったね。。

実際目の当たりにして、自然の驚異の中で

人間というのは無力で一瞬にして命も活気も失われる。

とにかく街を歩き、その町で飯を食べ金を落とすくらいしか

できなかった。

だからこそ、忘れないことが一番大事。

人は2回死ぬ、命を失った時と忘れられた時。

命は失うものだけど、忘れられないこと、

生きた証を残すこと。

それが多くの人に良い影響を与えられたらな。。

 

全ての人に希望があれ。

コロナもそうだし、明けない夜はない。

今は耐えるとき。

希望の歌を。