今日は久しぶりの一日休み。たまりにたまった洗濯物を片付け、食事をして、友達とメールしたり、やっぱり役のことを考えたりする。
今日から三月。外に出ると、ひな祭りの歌を歌っている女の子がいたが、おひな様をお日さまと間違えていて、一緒にいたお母さんが、おひな様だよ、と注意している姿がいじらしい。
な、がうまく言えないのかな。この際、お日さまでもいいよね。
近くの駅の近くのタバコ屋の隅で、タバコを吸っていると、目の大きな、可愛い女性がタバコを同じように吸い始める。まさか、こんなところで、ナンパはできないと思いながら、ひさびさに男気が燃えあがる(笑)ふと、目が合う。一瞬彼女の目がびくっと動いたが、タバコを吸い終わると去っていた。今度会うことがあれば、間違いなく声かける(笑)
さて、こんなトレーニングやってます、その二。
やっぱり、俳優のベースは、日々の人間観察だと思う。どんなに時間と金がなかろうが、これなら、外にいさえすれば、毎日できる。
4年ほど前に、演劇の道にいくか、それまで続けていた音楽を続けるか、悩んだことがあったが、演劇はその気になれば、毎日の日常生活がそのまま稽古になるから、時間やお金がなくとも、始める時期は遅くとも、モノになるかもしれない、と思い、演劇を選んだ。今でもこの選択は正解だったと思うが、実際は今のように日常を演劇と結びつけて考えられるようになるまで、かなりの時間を費やした。また、音楽だけでなく、他の芸術も、おそらく、人間を観る、ということが、大切なのではと思ったりする。
で、何を観るか、やはりまず、顔。表情から何を考えているか、何を感じているかを読もうとする。そうすると、なんとなくその人のキャラクターのイメージがパンと頭に浮かんでくるときがあるのね。言葉になるときもあれば、なんとなくイメージだけだったりすることもある。助けになるのが、深く相手のイメージに入りこむトレーニング。電車の中とかでやっているんだけど、劇団では、内的注意のトレーニングといっている。プロセスは企業秘密だけど、簡単にいうと、相手のことを深く思いやろうとするとき、誰もがしていることを意識的にやるだけ。
さっきの女の子の話じゃないけど、可愛い、って思った瞬間に、僕の注意は、無意識に彼女に向いているわけね。その気を感じて、彼女も、僕を見て、目が合った。不思議なことのように思う人もいるかもしれないけど、よくよく考えると、当たり前のことなんだよね。
観る人の行動とか、癖とか、話していることも、観察している。相手から何を得ようとしているんだろう。足を絶えず動かしているリズムはいったい何なんだろう。この人が話す言葉の根底にある性格の質や考えはなんなんだろうとか、想像したりする。あ、この行動、次の舞台で試してみようかな、とか、このキャラクター、いつか使って見たい!とか、引き出しにしまいこむ。こんなことしながら毎日が過ぎていくわけです。
昨年の半ばぐらいまでは、正直、観察していても、よくわからなかった。でも、最近は、相手のことが前よりよく見えるようになってきた。あと、自分自身も同時に観察する。何をしているか、何を考えているか、何を感じているか。このレベルもさらに高める。相手との間にある障害となっている自分の質を把握して、修正する。こういう作業を日々続けることで、創造的な状態、開かれた、明晰な自分自身を常にキープ、さらに進化させていくことになる。僕の先生は、瞑想のようなものといっていたが、まあそうだと思う。
こうやって振り返り書くと、思わぬ発見があって、面白い。本当は、さらに先があるが、そこは僕の精神世界の根幹になるので、秘密!
iPhoneからの投稿
今日から三月。外に出ると、ひな祭りの歌を歌っている女の子がいたが、おひな様をお日さまと間違えていて、一緒にいたお母さんが、おひな様だよ、と注意している姿がいじらしい。
な、がうまく言えないのかな。この際、お日さまでもいいよね。
近くの駅の近くのタバコ屋の隅で、タバコを吸っていると、目の大きな、可愛い女性がタバコを同じように吸い始める。まさか、こんなところで、ナンパはできないと思いながら、ひさびさに男気が燃えあがる(笑)ふと、目が合う。一瞬彼女の目がびくっと動いたが、タバコを吸い終わると去っていた。今度会うことがあれば、間違いなく声かける(笑)
さて、こんなトレーニングやってます、その二。
やっぱり、俳優のベースは、日々の人間観察だと思う。どんなに時間と金がなかろうが、これなら、外にいさえすれば、毎日できる。
4年ほど前に、演劇の道にいくか、それまで続けていた音楽を続けるか、悩んだことがあったが、演劇はその気になれば、毎日の日常生活がそのまま稽古になるから、時間やお金がなくとも、始める時期は遅くとも、モノになるかもしれない、と思い、演劇を選んだ。今でもこの選択は正解だったと思うが、実際は今のように日常を演劇と結びつけて考えられるようになるまで、かなりの時間を費やした。また、音楽だけでなく、他の芸術も、おそらく、人間を観る、ということが、大切なのではと思ったりする。
で、何を観るか、やはりまず、顔。表情から何を考えているか、何を感じているかを読もうとする。そうすると、なんとなくその人のキャラクターのイメージがパンと頭に浮かんでくるときがあるのね。言葉になるときもあれば、なんとなくイメージだけだったりすることもある。助けになるのが、深く相手のイメージに入りこむトレーニング。電車の中とかでやっているんだけど、劇団では、内的注意のトレーニングといっている。プロセスは企業秘密だけど、簡単にいうと、相手のことを深く思いやろうとするとき、誰もがしていることを意識的にやるだけ。
さっきの女の子の話じゃないけど、可愛い、って思った瞬間に、僕の注意は、無意識に彼女に向いているわけね。その気を感じて、彼女も、僕を見て、目が合った。不思議なことのように思う人もいるかもしれないけど、よくよく考えると、当たり前のことなんだよね。
観る人の行動とか、癖とか、話していることも、観察している。相手から何を得ようとしているんだろう。足を絶えず動かしているリズムはいったい何なんだろう。この人が話す言葉の根底にある性格の質や考えはなんなんだろうとか、想像したりする。あ、この行動、次の舞台で試してみようかな、とか、このキャラクター、いつか使って見たい!とか、引き出しにしまいこむ。こんなことしながら毎日が過ぎていくわけです。
昨年の半ばぐらいまでは、正直、観察していても、よくわからなかった。でも、最近は、相手のことが前よりよく見えるようになってきた。あと、自分自身も同時に観察する。何をしているか、何を考えているか、何を感じているか。このレベルもさらに高める。相手との間にある障害となっている自分の質を把握して、修正する。こういう作業を日々続けることで、創造的な状態、開かれた、明晰な自分自身を常にキープ、さらに進化させていくことになる。僕の先生は、瞑想のようなものといっていたが、まあそうだと思う。
こうやって振り返り書くと、思わぬ発見があって、面白い。本当は、さらに先があるが、そこは僕の精神世界の根幹になるので、秘密!
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