「イワーノフ」の抜き稽古が終わり、自宅でほっと一息。

春も近付き、ようやくエンジンがかかってきた気がします。まあ眠い時は眠いけど。


舞台の上での集中力をもっと高めていきたいですねえ。いうまでもなく、理想的には自分のことだけではなく、

舞台という空間に存在するすべてのものに集中したい。そのためには、まだまだわかっていないことが多い

と思います。

トレーニングの中で、集中するための準備方法や、役や作品に入り込むための想像力の使い方や相手との交流を数年間やっていきましたが、作品の中で生きるとなるとそれだけでは足らない気もします。もちろん今まで

やってきたことを少なくともレベルを落とさないようにキープしながら、他の部分も高めていく。

俳優たるもの、Actorってくらいだからやっぱり行動することが一番大切なのですが、この行動するということを

どこまで俳優が知っているのかというと、正直?で僕自身もなんとなく自分がリアルっぽさを感じられればとか

セリフをいえればいいとか、この辺のレベルに戸惑っていた気もするのです。

どれも大事なことなので、難しいのですが、やっぱり得意分野を作ることが大切だと思いました。俳優をする上で

必要なベースを固めながら、そのベースを相手や観客に明確に示すための技術。技術というと、表現するって

方向にいってしまいがちで、今日もそんなところがあったなあと思うのですが、自分が戯曲を分析して、これだと思ったイメージや考えを相手や観客に明確に示すトリガー(きっかけ)がなんなのかを知りたいと思うのです。

まあやりすぎも失敗も許しつつ、あせらず一歩一歩やっていくしかないですがね。


俺はやりすぎる男


まあもっと単純な話、行動は「どうしてもこうしたい」「俺は○○を絶対に譲れない」「絶対に○○が正しい」という思いが生まれることから導かれると、最近日常を振り返って思うのです。こんなこと書くとただのエゴイストだと思われそうですが、もちろんエゴだけではだめ、でもエゴも作用することも事実。ただ、相手があることから、エゴだけが具現化しないように、世の中は本来うまくできていると思うんですね。だから、すべての出会いは偶然ではないと言えるのかもしれません。戯曲を読む中でも、その役の人物の命が存在する意義というか、目的というか、必要というか、そんなことを考えながら読み進めると変わってくるかも。逆に昨日「イワーノフ」のことをみんなで

話していた時、仲間が言った言葉で、「この人物がいなかったらこの作品はどうなるだろうか」という視点とか、

面白いですよね。自然と相手に要求したくなっている自分が舞台の上で生まれるかもしれない。


要求こそ欲求


これが言いたいがためにどれだけ文章を書いたのか笑


あと、緊張の事も書きたいんですけどね

また今度にします