今日はぽんぽん言葉が出てくるなあ

無駄口叩くぜ


人を支配したい・影響を与えたい、トップにたちたい、目立ちたい、


残念だけど、まあ当然というか、まあこんな思いが僕の中にもあるし

周りの人や世の中を観ていて感じること

なんなんだろうね

最近の出来事からちょっと関連しそうなことをつらつら書きながら考えてみよう


昨日たまたま飲み屋のTVに映っていたドラマにたぶん映るよって話を飲み屋のおやじとおかみさんにしたら目の色がかわった


エキストラなんだけど笑

やっぱ世の中の人はテレビや映画にでて初めて役者って認識なんだなあと思った

テレビってやっぱなんやかんやいっても影響力あるよなあ

いっぽうで少し悲しい自分もいる


テレビという文化が根付いて、もう50年以上になるのか

日々の出来事を映し出し、考えさせ、時のスターを映し出し、希望を与えてきた。

ある意味、一緒に見ている家族よりも交流しているのかも

というより、家族との交流のネタがテレビから映し出されるものなのだろう

うちの家族もNHKBSで阪神タイガースの試合を観てたらすっかりファンになりました笑

そういえば法事のときかな、うちのおやじ含め親戚のおじさんたちがテレビの大きさをお互い比べ合っていたのはひそかに面白かった

テレビが神棚のように見えるのだろうか

うちの死んだじいさんは、チャンネルを離さず、半ばぼけてきてからもチャンネルをあっちこっち変えるおもろい人だった

5分同じチャンネルを観ているのが限界笑

まあたぶん何かを受け取っていたのだと思う


人間ってやっぱ孤独でさみしい

何か確かと思われるネタを与えられることで他人と交流する

テレビにはかつて確かであるという信頼が集まっている

今は失墜極まりないが

でも本当はお互いの行動や肉体そのもの、いやただ今ここ在るだけで何者かと交流がはじまっているという奇跡をみんなあまりよく知らない



最近というかだいぶ前から静かなるドンがマイブームなんだけど


あの近藤静也というキャラクターがとても興味深い


デザイナーとやくざの総長という、真逆にも思える二束のわらじ


本人はデザイン一本に絞りたい、組なんて解散すればいいと口ではいっているが、血筋とは恐ろしい


抑えられない何か、狂気というか支配欲というか、


そういうものがあるんだろうね


徐々にいい意味でバランスを見つけていく


周りに支えられることでバランスをとっているともいえる


抑えられないならいっそうのこと出すしかない


人から見て危ういバランスでもそれはそれでいいじゃないか


安心のためだけに人は生きているわけではない



人間っていろいろな人格をもっているんだけど、それを無理やり抑え込むとおかしなことになってくるんだろうねえ。ドストエフスキー「白痴」のナスターシャなんてどうもそんな感じだ。精神分析の世界だと、統合失調とかいうのかもしれないけど、どんどん人格を作りだして、わけのわからないことになるらしい。

普通の人は自分の作りあげたキャラクターにそぐわない何かが生まれた時、それをないことにしてプログラムから削除することで正常に機能するようにコントロールするが、いったん何らかの影響で、制御がきかなくなれば、あらゆる人格が表出、客観的にみて一貫性のない人間にみえるのかもしれない。が、繰り返しのようになるが、それをおかしい、くるっているとしてしまえばそれまでで、一見バランスが取れていないと思えるナスターシャの言動は、ナスターシャという人間の中でまきおこっていることそのものがただ素直に表出されているのにすぎない。真に素直、素直すぎるがゆえにつらい人生を生きる人なのではないだろうか。ムイシュキン公爵が憐憫を掛けたのもわかる気がする。公爵のてんかんもそういうものである気が今はしている。

前のバイト先の社長もそうだった。

穏やかかと思ったら急におかしな切れ方をする。独断専行で周りを不安にさせて、騒がせる。かと思えば、急に弱気になったりして、おちゃめだったりする。正直病的なくらいだとバイトの仲間と話していたけど、うめきというか苦しみのようなものを僕は感じた。はじめて自分の思い通りに動かせる環境を作った。しかしうまく事業がまわらない。あげくの果てに自分自身を制御できなくなる。会社の支配者であれ、所詮一支配者にすぎず、支配しきれない限界をどこかで知る。しかし、一度狂ったタガを簡単に戻すことはできない。王様の悲哀、孤独。支配することは支配されることであり、その逆もしかりなのだ。どこに救いがあるか?僕は、いい意味でのあきらめ、すべてを投げうつことだと思う。形式上支配される側だった僕も理解することこそ愛だなんてきれいごとをいいながら、本当は社長に支配されることが気に食わなくて仕方がなく、逆に支配しようとした。上に立つならしっかりやれとも思ったし、裏腹に嫉妬もあったからだと思う。しかし、ヒエラルキーには勝てなかった。その時のことを思うと、こいつのこと究極気にくわなかったし、俺の思っていることの一つも理解していないと頭にきたこともあったが、その中で戦ってもしょうがないし、こいつもいろいろ抱え込んで大変だろうから、助けたいが、その気持ちが伝わらないなら、理解されないならそれもしょうがない、といろいろ感じ思いながら、一緒に数か月濃い縁を感じる仲間とそこにいて、楽しかった。今、いったん縁はきれたが、大変だったけど、社長が僕の中にあったいろいろなものすべてを表現してくれた気がして、そのおかげで貴重な体験ができて感謝している。これについては書ききれない思いがあって近いうちに文章にしたいと思っている。



血といえば、人間の歴史自体が支配と被支配の繰り返しである

おそらく血をたどっていけば、支配されなかった時期をもつ一族などないのではないか

人間そもそも生まれた時は自由だ

それを支配されるとなればいろいろためこむのだろう

それをクリーンにするといったらまあそれは大変なことだ

一貫性があるように見えるのはそうしくまれているだけ、しこまれているだけ

まあそんなこといってもしょうがないのでそのまんまでいるしかないけどね

一貫性があってもなくてもどっちでもいいんだね


関係ないことも書いたかも

まあいいや