この土日は、ひさびさにゆっくりとひとりで家で休みをとりました。しかし、さみしさからですかね、ひとりでいると、どうしてもこれでいいのだろうかとか、不安に襲われたり、昔のことを後悔したりすることもあるのですが、今新作で取り組んでいる、チェーホフの「桜の園」のエピホードフのセリフにもありますが、「結局のところ、結局なんだが」って話で、先のことも今考えたところで、先に起こることは、今考えることと違うだろう。また前のことは、今どうしようと取り返しがつくわけでもない。
(しかし、それがわかっていながら、ピストルを持ち歩くエピホードフの心境たるやいかに。。。)
だからぜんぶ受け入れましょう。うん。その方が心が豊かになるから。
迷ったら心が豊かになる方に進む。そう、今きめよう。
人との会話が本当に貴重なものに思えます。「人間が神である」という言葉の意味が最近よくわかるようになりました。この休みも、公演も近いので、友人に公演案内したり、いろいろアドバイスしたり、されたり、わいわい話したりする時間がありましたが、内容ももちろん、相手との間に流れる、情緒を含んだ空気を感じていると、いろいろな発見があるのです。もちろん、その場では、ただ流れていくだけなのですが、自分の中に受け入れたくないものがあることに気づかされるのです。相手が怒ってそうだと思ったらすぐ身をひく。落ち込んでいる自分にたじたじとする。相手を傷つけるかもしれないと思って、なんていったらわからなくなる。ついつい余計なことをいってしまう。
うん、これもぜんぶ受け入れましょう。そしてありがとう。
きっとお芝居も同じことがいえて、むしろ普段よりシビアで、繊細でなくてはならないのだけれど、正直まだまだだなあ。
昨日、芸術監督のアニシモフさんと、稽古後、伊勢参りの報告がてら、お話をした。
いわく、「演劇は祈りである」と。
昨日の稽古で、その感覚を少しつかんだ気がする。
稽古中、アニシモフさんに、デリケートに、優しく(最近の劇団ではやりの言葉だが)と注意されるのだけど、頭ではわかっていても、なかなかうまく表現できなかった。その時、「伊勢にお参りした時のことを思い出して下さい」と、言われて、あ、その感覚なのかと、セリフを話す相手に祈るような気持ちで話しかけてみたら、自分の心というか、からだの内側で何かが動き始めるような気がした。それに気づいてからは、自然とセリフが出てきて、行動もできた。
神様の前では、自分をあけぴろっげにして、心もこめて感謝と願いを捧げる。演劇が祈りであれば、舞台の上でも同じ。そして、舞台空間を信じ、仲間を信じ、観客を信じ、そして僕たちを見守ってくれる存在がある事を信じる、という気持ちが必要なんだ。今までなんとなくぼやけていたものが、一本の線でつながった気がする。もう難しく考えない。迷わない。ただそれだけのために舞台に立つということだ。
そして4月4日、とりあえず今シーズンの総決算。
チェーホフ「イワーノフ」公演
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4月4日(日) 13:00~ 下北沢劇場
南口から歩いてすぐです
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携帯の方はこちら
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前売3000円