10月23日。
秋晴れの中、私たちは6カ月間同じ志を持つ仲間と修了式を迎えることができた。
いつも優しく明るい笑顔で接してくださった森山先生をはじめ事務局の皆様。
分かりやすく楽しい学びを提供してくださった講師の皆様。
厳しくも優しく、そして熱く犬目線でご指導してくださったトレーナーの皆様。
縁あって友達になってくださった在校生、卒業生の皆様。
【無料出張ドッグトレーニング】でクライアントを紹介してくださったK様。
快くトレーニングを引き受けてくださった、A様、I様、O様。
そして同じ志を持つトレーナー仲間。
私と繋がっていただきありがとうございました。
無我夢中で取り組んだ有意義な6カ月間。
皆様には感謝申し上げます。
おかげさまで無事に認定証をいただき卒業することができました。
振り返れば最初、
この6カ月もの間で、3カ月間の座学授業、読書感想文、座学試験合格、ペットシッター試験合格、実習時間120時間以上で25項目の見極め、認定試験合格、卒業動画課題、無料出張ドッグトレーニング3件×4回をこなさなければならなかった。
こんな短い期間でこれだけの多くの課題をこなすことができるのか?
不安でいっぱいだった。
試験や実習はひたすら勉強すれば何とかなる。
ただ、一番の不安要素は動画課題と出張トレーニングだった。
なぜなら私は集客が下手だからだ。
それを知っていて入学をしたのだが、果たして大丈夫なのか?
東京と神奈川と静岡を行ったり来たり。移動で時間がかなりかかった。
座学の授業は神奈川県の川崎市に教室があるので10時からの授業に間に合わせるのであれば家を朝6時半には出なければならない。
もう少し遅く出ても間に合うのだが、私は余裕を持って行動したい性分でギリギリで焦るといいことがないとはわかっていた。
小太郎の散歩もあるので最初は朝4時半とか5時に起きなければならなかった。
でも5月の朝はとても清々しく小太郎との散歩は苦にならなかった。
朝6時半に家を出て、電車に乗り学校がある川崎市の駅まで約2時間半。
稲城や中目黒のナーサリーでは約3時間がかかった。
実習では、できれば最初から最後の時間まで(8時間)実習をし、1日の流れを知りたかったが、最後までいると電車の乗り継ぎの関係で、地元の最終の電車に乗ることができない。
なので実習時間は5~6時間が限度だ。
帰りは乗り継ぎがうまくいかないと家に着くまで下手すると約4時間はかかった。
往復約7時間。
実習時間より長い道のりだ。
ならば、新幹線を遣えば早いと思いがちだが、新幹線だと鈍行よりも切符の値段が2倍はかかる。
そんなに経済的に余裕がない。
1回で2倍かかるのであれば鈍行にして実習を2回の方が勉強になる。
自分が我慢すればいいことだし。
電車の中ではほとんど寝ているし。
でも正直しんどい時もあった。
事故の後遺症がひどく出る時期があって、踏ん張らなきゃと耐えてはいたもののつらい時もあった。
授業や実習で集中することによって気にならないときもあったが、ふと気が緩むとやばい状態。
でもあきらめたくはなかった。
わたしは今まで中途半端に生きてきた。
自分で決めた道なので最後まであきらめないと今回ばかりは決めていた。
しっかり足を地に着けてこれからの人生を歩んでいきたかったからだ。
そんな時に支えてくれたのは家族や親戚、そして小太郎だった。
何よりも一番体の事を心配してくれた家族。
私は少し他の人とは違った生き方をしているのだ。
少し話は逸れる。長文です。
10年前、私は交通事故により大けがをし、一度は心肺停止になったという。
ぶつけられた瞬間から記憶が飛んでしまったので気が付くまでの過程は聞いた話だ。
朝の通勤ラッシュ時に起こった大事故。新聞にも載った。
信号待ちで停車中、後ろから時速60km/hノンストップ状態で後ろから突っ込まれた。
私の車の前には他の車があり、要はサンドイッチ状態だった。
整備したてのお気に入りだったマイカーは3分の2に潰され大破し、即廃車。
運良くぶつかった瞬間に勢いで両側のドアが開いて、閉じ込められはしなかった。
近くのガソリンスタンドの方や近隣の方が車を押そうとしたが、バンパーがタイヤハウスに食い込みタイヤが回らない。
エンジンからも煙が出ていて危険な状態だったという。
私は救急隊員によって車外に運び出されたという。その時にはショック状態で心肺停止。
でも私は身体の機能を半分失ったものの、懸命な処置により奇跡的に息を吹き返し助けられた。
要は生き帰ったのだ。
後から医者に聞いた話によると本当に奇跡だったという。
だが、助けられたものの命とは引き換えに大けがをし、いまでも後遺症に悩まされている。
身体が半分動かなくなったため、仕事も失った。退院後も苦しんだ。
正直、生きててもしょうがないと思った。なぜ、助けたんだと思ったこともある。
自暴自棄に陥った。生きていることが嫌になったのはこれだけの事ではない。
社会人になってからというものの、上司や先輩からのいじめもあったからだ。
いじめというと、一方的にやられているイメージがあるが、私は負けず嫌いなので応戦していた。
5対1でも戦った。
そしていつか、その人たちを超えてやろうと必死に働いていたのに。
結局は中途半端に終わったのだ。
何もできなくなって悔しかった。何をしていいのか希望も持てなくなった。
何かしなくてはと思っていても、何もできず、何もせず、ぼーっとしている日が続く。
そんなある日、今思えばターニングポイントが訪れる。
次回へと続く・・・。