今回は山田ズーニーさんの連載より。

ほぼ日刊イトイ新聞 おとなの小論文教室
Lesson969 「私を見て」と「私の生み出すものを見て」

Lesson970 読者の声 -「私を見て」と「私の生み出すものを見て」

 

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ここでは文章を受けたイメージより
「私を見て」の要素を人気商売の芸能人気質、
「私の生み出すものを見て」の要素を作品ありきの作家気質と呼ぶ。

芸能人気質は「エンターテイメントになるならば挑戦する」、
作家気質は「詠み人知らずで作品が残るのもあり」だと思う。

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自分の立場を先に書いておくと、作家気質に近いです。
書き手としても受け手としても。

例によってミュージシャン前提で書いてます。
それぞれの沼に合わせて読み替えてください。

あと、過去にかすりそうなことを書いたと思うので参考までに。
(引用にしようと思ったけど意外と遠かった(笑))
「大切なお知らせ」から始まる話について

 

あと、この書き込み見て、そうかと合点がいった。
というか簡単に結びつくはずなのになぜ気が付かなかった。(笑)

---(引用ここから)---
この記事を拝読し、作品は大好きだけど、小説家個人にはそれほど興味がない(失礼)ことに通じるかもと思った。
その人が生み出す言葉や世界が好き✨
from books.on.the.grass (@BooksGrass)
---(引用ここまで)---
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◆受け手としての話。

SSWが失恋ソングを歌っていたとして、
その歌で表現したかったものを受け取るし、
そこで描かれている失恋そのものを見ている。
生み出しているものを見ているなと思う。
本人のことは少なくとも二番目である。

人柄は半透明の膜の向こうにうっすら見えるぐらいでいい。
それが表現したいものの原点になっているから。


んで、爆弾投げるんだけど、
芸能人に恋をすることがないんだよね。
ガチ恋に限らず、likeしかないという意味で。
別に良い悪いの話ではないけど(と保険をかける)

ついでにもう1つ爆弾投げておくと、
制作の話とか作品の裏側とかそゆ話じゃない、
お洒落なカフェの話とか使ってる筋トレグッズの話とか、
個人としての私生活のブログに興味ない。
アクセサリーとか同じモノを身につけたいとかもないし。
あ、強いていうなら同じデザインのギター買ったけど、
コピーしたときに出る音を近くしたいと思ったからであって、
同じギターを持ったことで憧れの人に近づいたとかもない。

あと、出待ち入待ちしてしゃべりたいとか思わない。
認知されたいとかもない。仲良くなりたいとかもない。
個人に興味ない、作品のことしか見てない。

結局、作品に関係あるかないかで切ってるので、
作品を生み出す上の過去の話とか、
影響を受けたモノはわりとチェックしている。
それ以外の私生活は聞こえても気にしない。
だから発表のないことを詮索することもない。

 
端的にいうと作品至上主義的な姿勢なんだと思う。
音源の中とステージ上の姿がカッコよければ
プライベートがクズでも全然構わないし。

その塩梅についてはズーニーさん自身が書いていたので、

リンクを貼ることにする。
Lesson890 SNSにどこまでプライベートを書いていいのか


そういえば、

作家気質の人だとその人の作品を一緒に楽しめるよね。

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◆書き手としての話。

書いたことの繰り返しだけど、
書き手としても作家気質の作品を見てほしいタイプで。

ただ、何かを表現したくて書いているというよりは
感情の澱(おり)を排泄しているだけなんだよね。
「何かをアウトプットしないと生きている実感がわかない人種」のカルマ

 
といっても、
書き手個人より書いたモノが表に出てほしいと思ってるので、
作家気質の「私の生み出すものを見て」なんだと思う。

てか、書き手個人は徹底的に裏側に潜んでるが正しいかも。
性別すら明示してないし(これは読めばわかるでしょうけど(笑))、
一人称も色が出ちゃうから最低限しか使わないし、
固有名詞や具体的な名詞は避けているし、
個人情報も表現のためならばと最低限のものだけ出してるし。
書き手のことは文章の中からにじみ出たものだけでいい。

それよりは文章読んでなにか受け取ってもらえたら、
これ以上書き手として望むことはないんだよね。


あと、ズーニーさんが挙げていた、
「周りと美醜を比べてしまう」の部分の話をすると、
周りと比べることがないんだよね。昔からずっと。

究極的にはこの文章の読者は自分ひとりで十分で、
別に誰からも読まれなくても構わないと思っている。
誰かが面白いと思ってくれたらラッキーぐらいの感じ。

ただ、この文章が(社会的に)醜いものという自覚はある。
だからって(社会的に)美しくなる方向に興味はなく、
ひとりの読者(自分自身)に向かってひたすら磨き上げてる感じ。

それをチラシの裏ではなくネットの大海に投げているのは
必要な人がこっそり楽しんでくれればいいかなぐらいの感じ。
だから広めてほしいとか、本人に読んでほしいとかない。
醜いなりにコソコソ生きてるからほっといてって感じ。

美醜の世界から降りたポジションで

マイペースに書けばいいやってスタンス。

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◆世の中のあれこれ。

芸能人気質「私を見て」の一番の急所はこれ。
ズーニーさんも少し触れてたけど。
リアリティーショーは最も残酷な感情労働です。

 

 

近いところだと、アイドルも「私を見て」の芸能人気質が多いなと。
いかに自分の魅力で人を惹きつけるかで勝負しているというか。

オタクって恋していないと成り立たないよね。

いつもニコニコしている跳ね返りはすごいだろうなと思う。
できないことやってる人に敬意を持っている。


一方で、Perfumeは出自がアイドルだったけど、
いまは完全にアーティストだなと思う。
彼女らは自分をもコマとして使って、世界観を見せてる気がする。
たぶん、それぞれのプロによるしっかりとした分業の中で
自分たちが介在する分野が狭いと思っているからだろうか。

その上で付け加えると、
ライブMCでコス客いじりしたり、ダンスコンテストやったり、
ファンを主人公にして一緒に楽しんでるのもいいなと。
コミュニティを大事にしている感じ。


吉澤嘉代子はわかりやすく作家タイプで、
友達が見た光景の話から「残ってる」を作ったときに、
女性SSWが自身の経験を歌っているように受け取られがちで、
その枠組みにはめ込まれると意図しない見られ方になってしまう。
って感じのことをインタビューで言ってたなと。
→ 吉澤嘉代子『残ってる』インタビュー

 

ちなみに、個人的に(歌詞の世界観が)好きなのは
「ストッキング」とか「movie」とか
吉澤嘉代子本人のことを歌ってる曲だったりする。
こっちのが切実が詰まってる。


あと、書き手のことはうっすら見えるぐらいでいい。
だとamazarashi秋田ひろむとかまさに。
「ピアノ泥棒」とかモチーフがあるのは知ってるけど、
きっと自分のことも入れ込んでるんだろうなと受け取った。
そもそも顔出してない時点で個人を出さないようにしてるよね。

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BGMは 田村芽実 の 無花果 (Al)
鈴木愛理といいハロから卒業したあとが面白い。