岩塚宿【尾張】佐屋街道 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

烏森から西へ。
この烏森町、近鉄・JRのガードで中村区(西)と中川区(東)と分かれてる。

暫く走ると岩塚町で、岩塚石橋の交差点。
この辺りに岩塚一里塚がありました。
ちょうど信号待ちで停める場所探す手間が省けた(笑)

この先、佐屋街道は大型通行禁止になるので仕事では通れない(^^;

200mちょっとで八幡社。

ここの佐屋街道を挟んで北辺り(右)が岩塚宿本陣跡。

東を振り返る。
こちらにはぽい建物がある。

八幡社の南に遍慶寺。


門前に岩塚城趾碑。
遍慶寺一帯が岩塚城跡です。

塀に案内。
尾張守護斯波氏の一族の吉田重氏が築いたと云われます。

信長が斯波氏を追放すると(1561年)
重氏の孫・元氏は信長に仕えます。

元氏は大河内城(伊勢国司・北畠氏)攻めで戦死(永禄十一年・1568年)
岩塚城は廃城と考えられてます。

元氏の子・九郎左衛門は織田信男、、、?( ゚ε゚;)
信雄(信長の次男)の間違いですね)に仕え、
旧領岩塚を領し七所社(後で行きます)西北に住んだと云われます。

案内は新しいのに内容は古い(^^;

中に入って

境内。

門の両脇にクロガネモチとイブキ。
どちらも保存樹に指定されてる。

街道に戻って、八幡社の西に光明寺。
あ、外から撮ってない( ̄▽ ̄;)

鐘が下に置かれてる。
streetviewとかの下調べではコンクリートの鐘楼門が建ってたのですが。

本堂は新しい。
鐘楼も建て替え?
そんな兆しも見られなかったけど。

聞いた話だけど、鐘の音に苦情を言う人が居るらしい(-""-;)
クレーマーだ(# ̄З ̄)
鐘の音は日本人の心。
嫌なら日本から出て行け( `Д´)/
信心深くない私が言うのもなんですが( ̄▽ ̄;)

小学生の時は寺の裏に住んでて、寺は遊び場。
鐘もよく撞いてましたヽ(´o`;オイオイ

ここが苦情かは分かりませんけど。

少し西に。
突き当たりの堤防道路の手前に(これでは見えないな)

道標(右の一時停止の標識の下・写真は北向き)
2つの高架(上に名古屋高速・下に県道115号線)の向こうにある
七所社へのもの(左)
真ん中(何だろ?)のが邪魔ですが
隙間から「七所、、、」
道路が高くなり埋まった様です(-""-;)
こんな所よくあるけど、道標も上げたら良いのに( ´~`)

手前の「キヨス本町 柴山」は良く分かりませんが、
ある方曰く寄進者だとか。
こっちの方が目立ってるし(^_^;)

約200mで七所社。

鳥居前に案内。
創建は元慶八年(884年)頃。
岩塚城主・吉田守重も社殿を修造(応永三十二年・1425年)
子孫の元氏が旧領に戻って住んだのもこの辺りですね。

きねこさ祭は尾張三大奇祭の一つで、ちょうど今度の日曜(3月4日)
前週で準備なのか賑わってました。

直ぐ西に流れる庄内川に入るそうです( ̄▽ ̄;)冷たっ
七所社のHPより。

後は熱田神宮の歩射神事(1月15日・熱田神宮のHPより)
全て射ち終わると参拝者がダッシュして、的に付いてる木片の奪い合い。

もう1つは国府宮はだか祭(今日28日・愛知県のHPより)
1人の神男に触ると厄が落とせる。

七所社に戻して、参道に由緒。

お参りして

右手奥に日本武尊腰掛岩。

東征の帰りに、渡船を待つ間に腰掛けた石。

その奥に古塚。
奈良時代初期の古墳と伝えられてます。

南にも古墳。

こちらは壕がめぐらされ、弁天様が祀られてる。

もう1つ西にも古墳があり、岩塚の地名の由来に。

東に石碑。

岩塚の事が刻まれる。

街道に戻って突き当たりの堤防へ。

庄内川が流れ、対岸に万場宿。

渡し船があったのですが、今は上流の万場大橋で。

下流方面。

2月25日