西来院【遠江】月窟廟 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

浜松城の西に住宅に囲まれて、
西来院。
入って行くと駐車場があり、
本堂。
戦災で焼け、戦後に再建されて近代的です。

右に藤棚。
樹齢200年以上と言われる長藤で、藤番付で西の横綱と言われるそう。
時期が悪かった(^^;

手前に案内。
月窓義運禅師が開創(1428年)

種田山頭火(戦前の俳人)の句碑。
幾山河あてなくあるいて藤の花ざかり

墓苑に築山殿の廟堂・月窟廟。
こちらも戦災で焼け、400年忌で復元(1978年)

手前に案内。
築山御殿は岡崎城内ではない。

やっぱり信長の命となっている( ̄▽ ̄;)

理由は兎も角、散華って言葉が美しい。

堂内に墓石(1579年没・38歳)
首塚は岡崎の祐傳寺八柱神社

隣に松平源三郎康俊の墓。
康俊は家康の異父弟(於大と再婚した久松俊勝の子)で、今川に人質に(1563年)

信玄の駿河侵攻で捕まり甲斐へ(1568年)

逃げ出しますが、凍傷で両足の指は殆ど失ったと言われます(1570年)

駿河国・久能城を与えられます(1583年)

小牧・長久手の講和で、
今度は康俊の弟・定勝を秀吉に養子(人質)に出そうとしますが於大が反対。
家康は自分の次男・於義丸(結城秀康)を送ります(1584年)

35歳で没(1586年)

松島十湖(浜松の俳人)の句碑。
そのままに 手向けの水や 春の雨

最後に案内にあった、百回忌(1678年)に建立された鎮守七社大権現宮を探します。
写真を頼りに境内と墓所を行ったり来たりしますが見付からない( ´Д`)

諦めて駐車場に戻ると奥にありました( ̄▽ ̄;)

百回忌がされて、枯れた太刀洗い池が復活(それも埋めらてしまいましたが)

佐鳴湖で洗ってたら、やっぱり枯れたんでしょうか?(゚Д゚;)

11月12日

この後、太刀洗い池・佐鳴湖と行き、帰りは浜松西から東名で帰宅。
1日の事を書くのに1ヶ月もかかってしまった(^_^;)

これで夏休みから始めた「直虎」編は終わり。
まだ行きたい所あるし、大河ドラマ館が心残り( ´~`)

総集編観たら年明けに行くかも(^^;