二俣城【遠江】搦め手~北曲輪 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

11月12日、浜松に行きました(* ̄∇ ̄)ノ
目的は「直虎」です(^^)

いつもの様に衣浦豊田道路からの伊勢湾岸自動車道。
豊田南ICで前の車がETCに止められる(゚Д゚;)
入れてないのか期限切れか、ちゃんと確認しといてよね(# ̄З ̄)

待ってられないので通常レーンで通行券を受け取る。
今度自分が降りる時にバーに突っ込まない様にずっと暗示(^^;
出る時も通常、出る時も通常、、、
今回も長篠設楽原PAは通過( ´-`)
無事、浜松浜北ICを降りました(; ̄ー ̄A

新東名のお陰で天竜も近くなりましたね(^^)
て、初天竜ですが( ̄▽ ̄;)

天竜川を渡って東から二俣城遠景。

城跡の近くまで車で行けます。
駐車場に案内。
漏れ無くここも井伊家ゆかりの地。

築山殿は一般的には義元と近い関係(従姉弟・姪)ですが、
井伊直平の孫とも言われ「直虎」ではこちら。
直虎は直平の曾孫なんですが、どう見ても上ですよね(^_^;)

その築山殿の子・信康が幽閉されて自刃したのが二俣城。
理由も漏れ無く信長の嫌疑(# ̄З ̄)

「直虎」では更に五徳の手紙を捏造の上の完全な言い掛かり(-""-;)

それで三河大浜城で蟄居。
そして遠江堀江城(現浜名湖パルパル)に移され、更にここに。

あちこちへの移動は「直虎」では信康を助ける為の時間稼ぎでしたね。
なるほどなと。

以前、黒幕西郷局と突飛な説を書きましたが、
現実的には信康の武田との内通はあったと考えます。
(「直虎」を否定しますが)
それで家康の意思で。

では何の為?
①信康の心変わりを待つ。
②家康も迷った。
③信康派の炙り出し。

②もあったかもだけど(先日見た番組で、先生方は揃って武田にと言ってた)
しかし、家康は信玄にこてんぱんにされ、勝頼とも戦って来た。
意地でも武田は無いかと。
律儀とも言われるけど意地の方が強いんじゃ?

信康はその辺(武田との戦い)少ないから軽い?

③は関ヶ原のやり方を見ると有り得るかと。
で、家康に似て頑固な(笑)信康も態度を変えず、、、

戻ります。
他に北遠の山城。
この辺は信玄西上の時に行こうかと。

そして二俣まちあるきマップ。
細かくて拡大しても見えない(^_^;)
近くで気になったのは、アノ人ですね。
後日書きます。

駐車場の向かいに登城口。
大手は東で、こちらは搦め手ですがここから行きます。

入口に城址碑と公園案内。

大半が城山公園として整備されてます(右が北)

そして壬生の郷案内図(同じく)
壬生ってこの辺の地名かな?
新撰組を思い浮かべる(^_^;)

石碑の裏には「天竜市」
今は浜松市に編入合併されて天竜区に。
向こうが駐車場。

ここで掃除をしてたおじさんに話しかけられる。
「どこから来ましたか?」
「半田、、、(あ、ここは県外だ)愛知県です」
「半田なら3回行ったよ。山車も見た」
おお( ̄□ ̄;)!!
半田って案外凄いw

「朝早くからえらいね」
「この後、井伊谷も行こうと思ってるので」
「そうか、そうか。時間無いかもだけどゆっくりとな」
「ありがとうございます(^-^)」

おじさんと別れて進みます。

右手(西)には天竜川、、、木が( ̄▽ ̄;)
まだまだ、この先見える様になるはず。

暫く登って、左が北曲輪で右が本丸。

間の堀。

北曲輪は旭ケ丘神社になってて、その由緒。
明治に造営されて、昭和にここに遷座。

真っ直ぐ行くと石橋を潜り

参道。
下は腰曲輪。

右に行くと本丸。
食い違い虎口。

振り返り北曲輪(ボケてる)

虎口の前でUターンし、橋を渡って北曲輪(旭ケ丘神社)

お参りの前に、、、水出ないし(゚Д゚;)

境内。
銀杏が綺麗( 〃▽〃)

戻って再度虎口。

続く。