前回書き忘れてましたが、
写真も撮り忘れてたのでstreetview(^^;
前の老人ホームから国道1号線辺りまでで、かなり広いです。
御馳走屋敷で公用の役人の接待をしてました。
吉良道との分岐です。
左(北)は「東京みち」
反対の右(南)に「きらみち」
西に戻ると「西京いせ道」
脇に案内板。
写真では見にくいですが、道標にも指差してるマークが掘られてる。
「明治二己巳年十二月建立」
比較的新しく、江戸から東京に名称変更され、京都から遷都されてます。
では、東京へ(* ̄∇ ̄)ノ
、、、だと東海道らしくないので江戸に向かいます(^^;
北に直ぐの伝馬通1丁目の交差点。
ここを右折。
角にあるMINISTOPが「東海道岡崎宿 西本陣跡」
反対の歩道から写真撮って、先に進もうと思いましたが、
手前に何かあるので渡ります( ̄□ ̄;)!!
(結構疲れてました( ´Д`))
石像でした。
「本陣・脇本陣」と案内にあるので、
本陣に泊まった大名の行列の一部かな?
多い時には本陣・脇本陣共に三軒ずつあり、
宿場の規模は二番目の大きさでした。
石像は先にも連なってて、良く見ると向かいの歩道にも並んでました( ̄▽ ̄;)
一つ一つ寄ってるとキリが無いのでもう一つ。
矢作橋。
デザインはどれも愛嬌があります(^^)
西本陣跡のちょい東のメガネ屋が脇本陣跡。
南側に精肉問屋。
大正初期のですが、少しは宿場らしい。
東の伝馬の交差点。
正面(北東角)の花屋が東本陣跡。
花屋の斜向かい(南西角)に「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」の石碑。
歩道の両側の20基の石像が岡崎宿の歴史を語ります。
観光案内で貰ったガイドマップより。
交差点を渡り更に東へ。
通りの向こう(北)に円頓寺。
ここにも本多葵。
初代岡崎藩主・本多康重が安置した毘沙門天があるそう。
円頓寺を創立したのはその後に藩主になった水野忠善(1645年)
更に先のファミマの手前に「両町より伝馬町角」
ここを右折します。
本陣があるだけあり、二十七曲りで一番長い直線じゃないかな?
道標が現れるまで不安になります(^^;
東海道もラストスパート。
続く。