岡崎城【三河】大手門~三の丸 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

対面所(現シビコ)を突っ切ると(営業前だったので回った)
大手門跡。
石碑等はありません。
岡崎公園の入口に再建されましたが、元々あったのはこちら。

家康が居た時はこの辺りに酒井正親(岡崎市の地図では正規になってたけど多分誤植)の屋敷がありました。
正親は駿府での人質にも同行。
独立後、西尾城を落として城主に。

右手(北)にシビコ西広場。
中に岡崎空襲の慰霊碑。

慰霊碑の横。
昭和二十年七月二十日未明 B29三十二機来襲 その犠牲者二百三十名(去年280名と発表)

大林寺はこの時焼失。(天守は廃城令による)

向かいに浄瑠璃寺。
この日最初に行った誓願寺と同じく浄瑠璃姫縁の寺。
義経と浄瑠璃姫の画像と姫の念持仏の薬師如来像が安置されてるそう。
ちょうど門が開いたのでお参り。

奥州に旅立った義経を浄瑠璃姫は追うものの会えず
(病で亡くなった義経を祈願して生き返らせたとの伝説もあり(^_^;))

戻った姫は家(誓願寺の辺り)に入れてもらえず、
竜頭山(岡崎城がある所)の庵に幽閉されます。

その後姫は見投げ。
庵は寺に替えられ念持仏が安置されます。
岡崎築城で移転し、今の所へ。
本丸北の持仏堂曲輪に名を残します。

浄瑠璃寺と裏(西)のりぶらの駐車場辺りが浄瑠璃曲輪。
向こうに見えるのはりぶら。

南方は備前曲輪。
この辺りには服部正成(半蔵)・植村家政(て地図にあったけどまだ生まれてない(^^; 家康が居た頃は祖父・家存で、清洲同盟の時に護衛)の屋敷がありました。

備前曲輪を南下して西に三の丸。
康生通西2丁目の交差点の西が入口で門はありませんでした。
水掘で囲まれる。

そしてこの辺りに本多忠勝と鳥居元忠の屋敷がありました。
本丸に近付き、家臣もより近しくなりますね(^-^)

(岡崎市の資料より)

続く