宇喜多秀家陣・天満山南【美濃】西軍副大将 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

関ヶ原町関ヶ原、
南天満山の麓に天満神社。

(写したと思ったのに無かったのでストリートービュー(^^;)

入口の案内板。

御祭神は菅原道真。
創建年次は不詳ですが、
美濃守護代・斎藤妙椿の一族が勧請し、
山も天満山と名付けたと言われます(15世紀)

関ヶ原の戦いで宇喜多秀家が神社一帯に布陣し、戦火で焼失(1600年)

その後、岩手藩主・竹中越中守の寄進で再建(1663年)

参道を進むと境内の手前から宇喜多秀家の陣旗が並んでます。

紺地に児(兒)文字。

境内から。


秀家は下剋上から備前の大名になった直家の子。
「軍師官兵衛」でもありましたが、
陣内直家が病死間際に秀吉に託した子が後の秀家(「秀」は秀吉から)
おまけに秀家の母・円融院(笛木優子)まで差し出してましたね( ̄▽ ̄;)

秀吉の取り成しもあり、
幼いながらも本領安堵(57万石)で家督相続(1582年)

元服すると秀吉の猶子に、更に養女の豪(実親は利家とまつ)を娶ります(1586年)

小早川隆景が亡くなると(1597年)、
代わりに五大老の一人に(1598年)

境内の奥に石碑。
「(兒)宇喜多秀家公陣所跡」


関ヶ原では副大将として西軍最大の15,000を引き連れて布陣。

この石碑の他に他所と同じ形式のものがあるみたいなんですが、
どこにあったんだろ?( ̄▽ ̄;)
案内板も(^^;

「天満山南 浮田秀家陣所古趾」
それには浮田と彫られてます。

東の開戦地の近くの駐車場に停めて自転車で行きました(* ̄∇ ̄)ノ

…が着いたら充電切れ( ̄▽ ̄;)
戻って今度は車で参道の南の林道へ行きました( ̄0 ̄;)
何とか停めれて、何度か切り返してUターン(^^;

西の方からも行けます。
○4月10日訪問○


福島正則隊と戦い、
一時は家康本陣に責める勢いでしたが、
同じく秀吉の養子の小早川秀秋の裏切りで西軍総崩れ。
宇喜多隊も壊滅し落ち延びます。
この時「秀秋を叩き切ってやる!」と松尾山に乗り込もうとしたのを家臣に止められたと言われます。

伊吹山で矢野五右衛門に、
そして薩摩の島津義弘に匿われますが、
後に家康に引き渡されます。

島津と前田の懇願で死罪は免れ、
八丈島に島流し。
そこで一生を終えます(1655年)
関ヶ原に参加した武将で一番長生きしたんだっけ?

墓は八丈島に(行けないよ( ̄0 ̄;))

豪姫との像もあります(ストリートービュー)

故郷を眺めてるので海を向いてます。
行きたいなぁ(  TДT)

八丈島は無理でも金沢の豪の菩提寺・大蓮寺に供養塔があります( ̄人 ̄)