平塚為広の碑・藤川台【美濃】西軍 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

関ヶ原町、小早川秀秋に便乗して裏切った脇坂安治等四将が布陣した北の藤川台に
平塚為広の碑。

「平塚因幡守為廣碑」

家紋は亀甲に梅鉢。


為広は秀吉・秀頼に仕え、
垂井(1.2万石)を領してました。

大谷吉継と親しく、共に石田三成に挙兵を思いとどまるように説得しますが聞き入れられず西軍に。

大谷隊に属して北陸へ。
東軍が迫ってくると美濃に(9月3日)



その後、南の松尾山に秀秋が布陣(9月14日)
秀秋が裏切りそうなら暗殺計画もあったと言われます。

予想通り秀秋は裏切り、脇坂等も加わり壊滅。
吉継に辞世の句を送り(明日更新)討死します。


西に石碑等は無いですが共に大谷隊に属した戸田勝成と木下頼継の陣を大体載せてみました。
更に西に吉継陣。

勝成は丹羽氏~秀吉に仕え、越前安居(2万石)を領してましたが討死。

頼継は吉継の次男(甥・養子とも)で秀吉から木下姓を。
吉継が自害前に逃げる様に指示し、
越前で隠れますが直ぐに病死。

路駐しました。
○4月10日訪問○