成菩提院【近江】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

米原市柏原に成菩提院。


山門右手に案内板。

天台宗開祖・最澄が談議所(学問所)を建てたのが始まり(815年)
後に延暦寺の別院の一つに。

近江守護・佐々木氏の分家で、
江北を継いだ京極氏が保護します。
(この時、江南を継いだのが六角氏)

左手に下馬の碑。

私も下車します(* ̄∇ ̄)ノ笑
車は右手の方の空地に。

応仁の乱後、京極氏は衰退し家臣の浅井氏の傀儡となります。

山門をくぐります。


浅井長政は信長の妹・市を娶って同盟(1567年・それ以前とも)

参道を進みます。


信長は美濃を攻略し(1567年)、
義昭を奉じて上洛する為に越前から立政寺に迎えます(1568年)



上洛途上の江南の六角義賢に協力を要請する為に近江へ。
その時に宿舎にしたのが成菩提院。

正面に客殿。

では私も( ̄q ̄)zzz(笑)

右に本堂(拝観は要予約)


この時長政の重臣は信長殺害を進言。
しかし長政はそれを一蹴したと言われます(^^;

境内左手に鐘楼(室町時代築)


境内右手に護摩堂。

裏は何か工事してますね。

七日間ここに滞在。
義賢に使者を送って交渉しますが協力は得られず。
諦めて帰国し、
軍勢を整えて六角を攻める事になります。

私も帰国します(笑)


この後、怜ちゃんのお父さんと浅井攻めでした(* ̄∇ ̄)ノ
(六角攻める前に裏切る前の浅井を…笑)

信長は上洛の帰りにも宿泊。

その後、秀吉も小田原征伐前に(1590年)、
小早川秀秋も関ヶ原の戦いの直前に宿泊してます(1600年)

秀秋の時の住職は家康の側近・天海の兄弟子。
戦後、家康は残った兵糧や陣営を解体した木材を寄進。
この事から天海を通じて秀秋に寝返る決断を迫ったと推測されてます( ・ε・)


南の赤線が中山道。
○3月27日訪問○

次は軍勢を整えて出直し。