西大平陣屋【三河】大岡越前守旧邸 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

岡崎市大平町(東名高速・岡崎ICがある所)に



西大平藩陣屋。


☆陣屋内の案内板☆

あの大岡越前が藩主です(* ̄∇ ̄)ノ

大岡氏は三河国八名郡大岡郷発祥。
初代忠勝は松平清康(家康の祖父)から仕え「忠」の諱は広忠(家康の父)から。

☆同じく陣屋内☆

そんな譜代の大岡氏は旗本でしたが、
大岡越前守忠相が江戸町奉行・寺社奉行等で活躍し、
本貫地の相模国高座郡大曲村と関東各地に加えて三河西大平を与えられて晴れて大名に。
(町奉行から大名になったのは忠相のみ)
その時に築いたのが西大平陣屋です(1748年・八代吉宗の時)。

☆また陣屋内☆

西大平藩はそのまま幕末まで続きます。

☆外の西隅に「史蹟大岡越前守旧邸」の石碑☆

忠相はここに来る事も無く亡くなります(1752年)

その後の藩主達も代々越前守を任じられますが、
江戸に住んで参勤交代をしない定府大名。
子孫達も来たのかどうだか?( ̄▽ ̄;)

☆南の門☆


入った先に大岡稲荷社


☆脇に案内板☆

忠相は領地に近い豊川稲荷を信仰。
江戸赤坂の藩邸内に分霊社の赤坂稲荷を祀り、
西大平陣屋内にも大岡稲荷として社殿を建てます。
(これは忠相の250回忌記念の再築)

陣屋跡にある建物はこれのみ。
当然ながら奉行所にお白州はありません(笑)


次の目的地に向かう為に国道1号線への信号待ちに

東海道の石碑。
そう言えばここはそうだった(^^;



赤線が旧東海道で黄線が国道1号線。

車は向かいの空地(多分専光寺の敷地(^^;)に停めました。
○2月12日訪問○


北西に直ぐ大平一里塚(Googlemap)

下ると38番目の岡崎宿。
上ると藤川一里塚を経て37番目の藤川宿。


今日は予定通り早く終わったので豊田~岡崎~安城へ(* ̄∇ ̄)ノ
とりあえず西三河の織田絡みは廻れたかな(^^)

これで今週・来週末と出掛けられなくても暫くネタに困らない(*´∀`)♪
場合により一日二回更新するかも(^^;

問題は順番に書き方(^o^;
順番は単純に私が行った通りに書けば楽なんですが時系列にそった方が分かりやすい(^^)
しかし古戦場だけならそれも簡単だけど、
城も入ると城自体の歴史もあるので思案のしどころじゃの~(^o^;
で、簡単についでに寄った流れと関係無い陣屋から( ̄▽ ̄;)

土日も完全に連休になったので普段の買い物だけ行って天気も悪いし後はヒッキー。
何とかします(^^;
そして書き方も試行錯誤中(;^_^A