京都御苑【山城】 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

22日の続きです。

皆さんと合流して最初に行ったのが京都御苑。


烏丸丸太町交差点の北東の広い敷地です(^^;

西側を北上して

下立売御門。
禁門の変では桑名藩が守ってました(1864年)。


通りの向こうに菅原院天満宮。
菅原道真の邸宅跡で、
道真・父・祖父が祀られてます。

流石京都…こんな歴史的な所がゴロゴロしてます( ̄▽ ̄;)


更に北上して次の門がアノ蛤御門。

守る会津藩と攻める長州藩が衝突した場所。
今ならオッチャン一人なので易々浸入でします(笑)

私が石碑を撮ってたら

隊長のシュンパツさん(弾痕マニアw)が一番で浸入。


私も隊長に続き。
御所に向かって撃つなんて( ・ε・)


中に案内板。

結果、長州が負けて朝敵になるんですが、
その後立場は逆転(ー_ー;)
納得いかないなぁ( ̄0 ̄;)

ま、幕末は置いといて中に

京都御所。

信長の話しに戻すと、
応仁の乱以降、京は荒れ果て御所の塀にも穴が開いてる有様でした。

義昭が将軍になると信長は御所の修復をします(1568~1571年)。

その後、蹴鞠の会にも出席。

有名なのが内裏で行われた馬揃えですね(1581年)。

時の天皇は正親町天皇。
信長は皇子の誠仁親王と親密になり、
天皇に譲位を迫ったと言われます(反対の説もあり)

天皇に匹敵…取って代わる様な立場になった信長。
その為に起きたと、本能寺の変の一説ですね。


次はオマケ的な場所へ。
続く。