浅野長勝宅【尾張】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

13日の続きです。

北上してJR東海道本線・清洲駅の北の稲沢市六角堂東町へ。
清洲駅は稲沢市にあるんですね( ̄0 ̄;)
今、地図見てて気付いた(^^;

名鉄名古屋本線・新清洲駅は安心してください、清須市内にありますよ( ̄▽ ̄;)


民家の中に浅野長勝宅址碑。


フェンスの上から。


フェンスの網の間から。

超不審者ですよね( ̄▽ ̄;)
自転車のオジさんがジロジロ見て行きました(´・ω・`)

浅野長勝は信長の弓衆で、
養女にねね(秀吉の正室)・養子に長政(五奉行筆頭)が居ます。

安井城から所領がこの地へ移り、
後に浅野城に移ります。
…とWikipediaにありますが、
浅野城が浅野氏発祥地とあるし、
安井城は先祖が移ってきた所…
順番は前後するかもです(^^;

ねねを秀吉に嫁がせた縁から信長の命で秀吉に属し、
跡を継いだ長政は賤ヶ岳の功で近江大津を与えられます(1583年)。

京都奉行職も任され(1584年)、
後に五奉行筆頭に。

残る五奉行の二人は佐和山の石田三成(近江出身)と丹波亀山の前田玄以(美濃出身。詳しい場所は分かりません)。

九州平定の功で若狭小浜へ(1587年)。
そして朝鮮出兵の功で甲府へ(1593年)。

秀吉死後、家康暗殺の疑いをかけられて家督を幸長に譲り武蔵府中に謹慎(1599年)。

関ヶ原では、長政は秀忠に従い中山道を、
幸長は岐阜城攻めの先鋒・本戦でも活躍(1600年)。
長政は江戸で家康に近侍、幸長は和歌山に加増転封し初代和歌山藩主に。

幸長が嗣子無く亡くなると弟・長晟が相続(1613年)。
秀頼への忠誠心から暗殺とも言われます( ̄▽ ̄;)

長晟は大坂の陣で活躍(1614・1615年)
家康の三女・振姫を娶り(1616年)、
福島正則の改易の後の広島に加増転封(1619年)。

幕末まで続きます。
親族になったお陰ですね(^^;


東に美濃路が通り、
北には地名になってる六角堂がある長光寺。

長光寺はオマケ扱いしようと思ってましたが改めて調べると色々あったので独立記事にします(  TДT)

続く。