高嶋城(茶臼山城)【信濃】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

12日の続きです。

岡谷ICから国道20号線を東へ。

諏訪湖が見えてくると
嫁「みどり湖…?」
私「こんなに大きくないと思うよ…( ̄▽ ̄;)」

諏訪市に入り、JR中央本線・上諏訪駅の東の茶臼山へ。

先ず、先端(北)の湯の脇公民館に入り、敷地内の天神社前に

天神山城跡碑。


尾根上にあったのですが、今は削られて宅地等になってます。
(説明は後でまとめて)

更に登って山頂手前の交差点に

高嶋城跡碑。
座り込んでたお爺さんも写っちゃったな( ̄▽ ̄;)


石碑の隣に周辺案内図。

後ろを振り返ると

諏訪湖が微かに見えます。

更に進み(城跡碑の写真の坂の反対方向)、

桜ヶ丘県営住宅に


案内板があります。

高嶋城は諏訪氏(諏訪大社上社神主家)が築城したと言われ、
金刺氏(諏訪大社下社神主家)と争います(1400年頃から)。

天神山城は高嶋城の支城。
高嶋城は高島とも書かれ、
茶臼山城とも言います。

諏訪氏の内部抗争に乗じ金刺興春が高嶋を奪ったりしますが(1483年)、
興春は後に討死、内部抗争の終結により諏訪氏が力を取り戻して金刺氏は衰退して行きます。

そこで金刺昌春(興春の孫?)は武田信虎(信玄の父)を頼り、下社を再興しようとしますが討死し金刺氏は断絶します(1531年)。

残ったのは諏訪と武田の争い。

小競り合いの後に和睦(1535年)。
更に諏訪頼重と信虎三女・禰々が婚姻し(1540年)関係強化しますが、
晴信(後の信玄)に代替わりすると同盟破綻。
頼重は攻められて、後に自害(1542年)。

頼重の娘・諏訪御料人は晴信の側室になり、産まれたの勝頼(1546年)。

高嶋は武田の諏訪の拠点になります。


この辺りの桜は松本より遅れてます。
南にあっても標高(諏訪の)が高いからですね(^^;

信長の甲州征伐では大将信忠の本陣も置かれ、
甲斐を与えられた川尻秀隆の領地になります(1582年)。

変後の反乱で秀隆が討死すると、
諏訪頼忠(頼重の従兄弟)が復活し金子城を、
小田原征伐後に与えられた日根野高吉が(新たに)高島城を築いて、(旧)高嶋城は廃城となります。


次は新城の方へ(* ̄∇ ̄)ノ
続く。