岡山陣屋、黄金堤【三河】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

7日の続き、最終回です。


同じく吉良町内の民家の隣にポツンと岡山陣屋跡。
岡山ですが愛知です(^^;

家康と共に人質だった吉良義安が桶狭間の戦いの後に三河に帰国。
三河一向一揆で家康に敗れ、他国に逃げた義昭(義安の弟)の跡に義安が返り咲きます。

家康の叔母を娶り、産まれた義定(家康の従兄弟)が陣屋を築きました。

そして、義定の子の義弥から高家職に。

更に義弥の孫が、あの吉良上野介義央です。

門の後ろに銅像。

忠臣蔵では悪役ですが、地元では水害を防ぐ為に堤防を築いたりしたので名君と慕われてます。

陣屋の近くの黄金堤。
ここにも吉良さん…同じ型?(^^;


逆に水攻めに使いたくなります(笑)

水害から守られ、稲穂が金色に実るようにと黄金堤と呼ばれるようになったそうです。

しかし、これは上野介の時代の前に築かれたみたい…(^^;


忠臣蔵について少し書かせてもらいます。
刃傷に及んだ理由はハッキリとは分かりませんが、浅野内匠頭は我慢しなきゃ駄目でしょ( ̄0 ̄;)

それに、やるならキッチリやらんかい(# ̄З ̄)

赤穂の人を敵に回した?(^^;

これは別に近所だからとかではなく、浅野家も元は愛知で信長の家来だったので家柄的にはこっち派。

大石内蔵助達の主君の無念を晴らす点は好きです(^^)



黄金堤には鎧ケ淵古戦場跡もありました。

家康と吉良義昭が戦った所です。
ここでは家康側が負けますが、その後の東条城の近くの藤波畷の戦い(東条城の西、遠景を撮った辺り。田んぼの中に古戦場跡碑も有ったのですが、こちらは撮り忘れ(^^;)で勝利し、義昭は降服(1561年)。


以上、7日の松平のち吉良 時々織田でした(^_^;)
明日は美濃へι(`ロ´)ノ
バリバリ(死語?)織田ですヽ(*´▽)ノ♪