梅坪城、寺部城【三河】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

13日の続きです。

豊田の市街地に入って、梅坪町に梅ヶ坪城(別名梅坪城)。


名鉄梅坪駅辺りにあったそうなんですが、面影は皆無です( ̄0 ̄;)

ここも古くから織田と松平との争奪地だったのですが、詳しい事は分かりません(^^;

近くに郷土資料館があったので、何か分かるか?と思い行きましたが、それは明日書くとして次は寺部城へ。

矢田川を渡り、寺部町の守綱神社の東に


寺部城趾。

城趾碑は櫓台とも言われる土塁の上にあります。



ここは鈴木氏の城で、松平氏と争ってましたが、後に共に今川に属します。
しかし1558年に信長に属して、今川の命で松平元康(家康)に攻められ、また今川傘下に。
この時が家康の初陣らしいです。

桶狭間の合戦後、家康が独立し信長と同盟した後も今川に残ったみたいで、1566年に佐久間信盛(信長の重臣で伊保城主)に攻められて落城。
城主は駿河の今川の元に逃げました。


そんな事は案内板には一言も書いてませんけど(^^;


江戸期には尾張藩の家老渡辺氏の城でした。

現在は公園になってて

井戸に、奥に建物の礎石が残ってます。

城内にあった書院に茶室は、この後に行く城に移設されてます。


また雨が降りだした続きは明後日に。
明日は郷土資料館の事を書きます(* ̄∇ ̄)ノ

果たして何か分かったのか?
新たな発見はあるのか?

続く。