こころのいばしょ、じぶんのありか。

こころのいばしょ、じぶんのありか。

いっぽずつ、自分らしく生きていくために。

感じたこと
考えたこと
気づいたこと

すべての自分を認めてあげるために、

その先にある「答え」 にたどり着くために。

 

ずっと行き詰まりから抜け出せないのは、

 

 

抜け出すための答えが見つからないのは、

 

 

答えの「ない」ところを、

 

一生懸命、

 

探しているから。

 

 

 

違う言い方をしてみると、

 

答えが「あってほしいところ」ばかりを、

 

探そうとするから。

 

 

 

 

「うまくいくはず」の方法は、

 

答えが「あるはず」の場所は、

 

 

自分の考えが「正しい」ことを、

 

証明してくれるはずの場所。

 

 

だから、

 

おんなじ場所ばかり、

 

探してしまう。

 

 

 

 

もうちょっと、

 

別の言い方をしてみると、

 

 

探したくない、

 

足を踏み入れたくない、

 

 

その場所だけは、

 

絶対に避けておきたい場所があるから、

 

 

その「イヤな場所」を回避したくて、

 

同じところばかりを探すことに、

 

執着している・・・に、なる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうであってほしいという「期待」と一対になった、

 

そうでないと困るってぐらいの「執着」は、

 

 

いったい、

 

どこから、来たのか。

 

 

 

いったい、

 

いつから、あったのか。

 

 

 

 

 

 

「期待」しているはずなのに、

 

そこには、「希望」があるはずなのに、

 

 

どうしても、息苦しくなって、

 

重たい感じがしてしまうのは、

 

なぜたろう。

 

 

 

それは、

 

 

「希望」に向かっているつもりで、実は、

 

「怖れ」から目を背けているからかも、しれない。

 

 

 

 

希望や期待に、

 

執着がくっつけば、くっつくほど、

 

「怖れ」の存在が、

 

透けて見えてしまう。

 

 

 

そうなったら困るという怒りと、

 

そうなりたくないという怖れがあって、

 

そうならないように、

 

ずっと、

 

同じことを繰り返している。

 

 

 

 

と、いうことは、

 

かつて、

 

その怖れに触れてしまったことが、


そうなってしまったことが、

 

あったということ。

 

 

 

だから、

 

もう、二度と、

 

 

「あんなこと」が起こらないように、

 

 

「同じような目」に会わないように、

  

 

 

自分の中で、

 

何かを決めて、

 

その生き方を貫いてきた。

 

 

 

だから、

 

 

自分が、これまで守ってきた、

 

生き方は、

 

 

自分が、つくってきた、

 

世界は、

 

 

なんとしても、死守していく必要がある。

 

 

 

「あんな思い」を、もう、絶対にしないために。

 

 

 

その大切な大切な世界を守るために、

 

その世界が正しいことを証明し続けるために、

 

 

自分が守り通してきた、

 

その「世界の中だけ」で、答えを探し続けている。

 

 

 

答えがあってほしい、

 

 

その場所を、

 

その方法を、

 

その生き方を、

 

 

期待と希望だと思い込んで、

 

執着し続けている。

 

 

 

 

なのに、

 

 

期待していて、

 

希望があるはずの場所は、

 

 

 

かつての怖れを回避したくて、

 

自分の本当の望みも一緒に封印して、

 

心の痛みをさけるために、

 

無自覚に、

つくりあげた世界だから、

 

 

 

そこには、本当に探している「答え」は、ない。

 

 

 

 

 

心の底で、自分が怖れているのは、

 

 

 

その世界から出ること。

 

その世界の外の答えに気づいてしまうこと。

 

その世界が壊れてしまうこと。

 

 

 

だから、その世界の中だけで、

 

いつまでも、ずっと、

 

答えを探している。

 

 

 

自分の信じている世界が、

 

なくならないことを祈りながら、怖れて。

 

 

 

 

自分が、ずっと、抱えている、

 

 

その期待は、

 

自分以外の誰かにすがるような期待に、

 

なっていないか。

 

 

 

その希望は、

 

自分が本当に望んでいることから、

 

ズレてしまっていないか。

 

 


期待や希望が、


怖れから生まれたものだとしたら、


 

その怖れは、

 


見たくもない、

 

ずっと、遠ざけておきたい、

 

その怖れこそが、実は、

 

 

自分の本心の核心に、

 

もっとも近くて、

 

 

嘘偽りのない、

 

本当の答えに近いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行き詰まりから抜け出せないのは、

 

答えが見つからないのは、

 

 

 

もう、その限られた世界の中で、

 

できることは、

 

やり尽くしつつあるから。

 

 

 

過去に手に入れたはずの、

 

成功体験は、

 

 

いまでは、もう、

 

行き詰まりにしか感じられないから。

 

 

 

 

かつての自分が身に付けた、

 

 

絶対にうまくいくはずの、

 

絶対に守り続けなくてはいけないはずの、

 

 

大切なやり方、

 

大事な世界なのに、

 

 

その世界で手に入れられるものに、

 


今では、

 

いきどおりを感じ、

 

怒りすら、感じてしまう。

 

 

 

 

そんなになってまで、

 

 

期待や希望が、

 

執着に変わってしまうまで、

 

 

これまで、費やしてきた時間は、

 

 

無意味でも、

 

ましてや無駄でもなく、

 

 


行き詰まり切ってもなお、

 

手放すことなどできず、

 


その世界の中で、

 

葛藤し続けていたからこそ、

 

 


 

無意識に目を背け続けていた、

 

怖れや、

 

心の痛みを、

 

認識できるようになったと言えるかも、しれない。

 

 


 

行き詰まって、

 

状況が変わらないのは、

 

 

ずっと抱えてきた、



期待や、


希望や、


その奥の怖れの、


さらに、その先にある、

 


本当の願いを見つめ直すときがきただけ。

 

 

 

 

それは、

 

試練だとか、

 

乗り越えるべき壁だとか、

 

そういう意味ではなく、

(そういう意味もあるけど)

 

 

自分にとっての譲れない、

 

大事な何かのありかを、


思い出すためなのかもしれない。

 

 



これまでの時間が、


本当の願いに気づくために、


あったのだとしたら、

 

 

これまでのやり方に執着したのは、


譲れない願いが、


あったからだとしたら、

 

 

 

 

そうまでして、

 

思い出したかった、

 

 

消えない心の傷と、

 

消えない想いが、

 

 

心の奥には、ずっと、

 

あることを、

 

 


これまで、


無自覚に守り通してきた世界の外にある、

 

「答え」として、あることを、

 

 


本当は、ずっと前から、



わかっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

座間カウンセリングスペースArrive

岩佐利彦

 

Arrive リンク画像