不安は、
誰だって、
なくしたいもの。
だって、
不安だと、
落ち着かないから。
だって、
不安なのは、
よくないことだから。
だって、
不安は、
なんとかしなきゃ、いけないから。
不安をなくすためなら、
頑張って、
努力だってするし、
よく考えて、
行動しようと心がけるし、
一生懸命、
成長しようとだって、する。
そうやって、
頑張って、よく考えて、一生懸命、
努力して、
成長すれば、
不安はなくなる、はず。
不安さえ、なくなれば、
自信を持って、
日々、安心して、
心穏やかに過ごせるに、違いない。
不安さえ、なければ、
人間関係だって、
変に気を使うことなく、
自然な感じで過ごせるに、違いない。
いま、自分に、
不安があるのは、
きっと、
いまの自分じゃ、
ダメだから。
に、違いない。
不安があるからこそ、
注意深く、慎重に、
行動できるんだとか、
不安があるからこそ、
日頃から、困ったことにならないように、
備えることができるんだとか、
不安があるからこそ、
もっともっと、自分を向上させようと、
努力できるんだとか、
そうやって、
不安があることの、
ポジティブな側面を見つけて、
捉え直してみるのも、
もちろん、あり。
だと、思う。
それで、
スッキリと、
不安に対する認識が、
書き変われば、
なんの問題も、ない。
でも、もしも、
その、ポジティブ変換が、
不都合で目障りなものを、
覆い隠して、
見えなくするかのような、
良さげな解釈を、
上塗りして、
誤魔化しているかのような、
そんな違和感が、
ぬぐえないのなら、
結局のところ、
きっと、
根っこのところは、
なにも、変わっていない。
同じような不安感からは、
ずっと、ずっと、
逃れられては、いない。
不安なのは、
自分が場違いだから、
なのかも、しれない。
不安なのは、
自分が劣っているから、
なのかも、しれない。
不安なのは、
自分が間違っているから、
なのかも、しれない。
そうやって、
自分が不安な原因を、
探してみても、
本当に、キリがない。
不安の原因となる理由は、
いくらでも、無限に、
生み出すことができる。
不安は、
落ち着かない、
ザワザワとした、
いたたまれない、
そんな、不快を伴う感覚に、
不安と言う名前を付けた、だけ。
内側から、
自分を動かそうとする、
不快で、
どうにかせずにはいられない、
イヤな感覚が、
ただ、「ある」だけ。
それを、
ただ、「ある」だけの感覚を、
よくないことと、
してしまったのが、
何よりも問題。
なのかも、しれない。
そもそも、
どんな人だって、
不安は感じているはずだし。
不安を感じなかったら、
ある意味、人間じゃないし。
無自覚に、
不安と名付けられた、
その感覚を、
なくそうとすること。
それ自体が、
問題なのだとしたら、
そもそも、
なぜ、
なくそう、
払拭しよう、
乗り越えようと、
するのだろう。
まるで、
拒絶して、
自分から引き離して、
目の届かないところに隠して、
なかったことにするかのように。
自分の内側に、
ただ、
「ある」だけの感覚を、
不安だと、
認定して、
不安と、
名付けて、
これは、
よくないことだと、
ワザワザ確定させて、
毛嫌いして、
邪魔者扱いして、
どうにかして、
なくそうとして、
そして、なぜだか、
最後には、
行き詰まる。
じゃあ、一体、
不安の何が、
ダメなんだろう。
それこそ、
不安の何が、
不安なんだろう。
その不安は、
何が起こることを怖れての、
不安なのだろう。
不安なのは、
どうしても、イヤだと、
不安は、
すぐにでも、なんとかしたいと、
そうやって、
不安に対して、
敏感に反応している割には、
感じている不安を、
直視しないから、
真正面から受けとめないから、
正確に把握できていないから、
実は、
自分の不安について、
他でもない自分自身ですら、
よくわかって、いない。
のかも、しれない。
不安を、
直ちに、
どうにかして、
きれいサッパリ、
なくしてしまいたいのは、
不安の先に、
見たくないものが、
待っている。
と、思い込んでいるから。
不安を、
そのまま放置してしまったら、
不安の先の、
ヤバいところに、
落っこちてしまう。
と、信じているから。
不安の先にあるはずの、
落ちたらヤバい場所に、
ハマった自分は、
絶対に見たくない。
ソコにだけは、
行っては、いけない。
ソコに落ちた自分にだけは、
なっては、いけない。
どうにかして、
不安をなくしたいのは、
見たくない、
いてはいけない自分を、
切り離して、
遠ざけて、
封印して、おきたいから。
なのかも、しれない。
結局のところ、
どうやったって、
何をしてみても、
どんなに策を練ってみても、
不安はなくならない。
だって、
不安と名付けた、
その感覚も、また、
自分の一部だから。
不安を感じている自分も、
間違いなく、
自分だから。
この先も、きっと、
ずっと、
どんなに、
よく考えて、努力して、成長しても、
不安はなくならない。
自分という存在を、
この世界から消せないのと、
同じように、
自分の内側にある不安は、
なくならない。
どうあがいたって、
どうしたって、
何をしたって、
不安が、なくならないのなら、
不安を、
無自覚に不安と名付けてしまった、
自分の内側にある感覚を、
そのまま、
純粋に、
ありのままに、
感じてしまえばいい。
ただ、ただ、
不安を感じきるように。
ただ、ただ、
不安な自分に、寄り添うように。
これは不安だ、
これは怖れだ、
これはダメだと、
自分のことを、
ザワザワさせ、
落ち着かなくさせて、
追い詰めているのは、
目障りで、不快な、
外側の何かではなく、
不安を、
抑え込もうと、
なくそうと、
なかったことにしようと、
無意識に抵抗している、
自分自身。
自分の内側で、
自分が、自分にしている、
衝動的で、
無自覚で、
とても強力な、
存在否定。
それこそ、まさに、
自作自演。
だから、
不安な自分も、
不安をなくしたい自分も、
不安をなくそうとしたのに、うまくできない自分も、
すべて、
一つひとつ、
いちいち、
丁寧に丁寧に、
気づいてあげて、
受けとめてあげて、
認めてあげれば、いい。
行き場を失っていた自分に、
他でもない自分自身が、
居場所を、つくってあげるように。
不安な感情が、
ただ、そのまま、
あっても、いい。
不安な自分が、
ただ、そのまま、
いても、いい。
そんな、居場所を、
自分の内側に、
つくってあげられたとしたら、
そのとき、
自分は、
きっと、
なにをしても、いいし、
なにもしなくても、いい。
これまで、
自分を内側から動かしていた、
不安という感情は、
これまでも、
いまも、
これからも、
ただ、ただ、ずっと、ある。
それだけ。
不安な自分は、
これまでも、この先も、
ただ、ただ、そのまま、
なにも変わることなく、
ここに、いる。
ただ、それだけ。
自分は、いま、不安なんだと、
その場に、たたずむように、
感じていられたとしたら、
そんな、静かな世界に、
身をゆだねられたとしたら、
これから、なにをするのか、
この先、どうしたいのかは、
自然に、わかる。
それこそ、
命が教えてくれる。
どんな感情も、
ただ、あるんだ、
そのままで、あっていいんだと、
思えたのなら、
どんな自分でも、
そのまま、ここに、いて、
大丈夫なんだと、
信じられたのなら、
それこそが、
実は、
ずっと、ずっと、
探し求めていた、
「安心」なのかも、しれない。
岩佐利彦






