こころのいばしょ、じぶんのありか。

こころのいばしょ、じぶんのありか。

いっぽずつ、自分らしく生きていくために。

感じたこと
考えたこと
気づいたこと

すべての自分を認めてあげるために、

その先にある「答え」 にたどり着くために。

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カウンセラーって、

悩んでる人、困っている人の

 

味方になってくれるんじゃないの?

やさしく受け入れてくれるんじゃないの?

応援してくれて、背中を押してくれるんじゃないの?

 

 

そんな、ご期待を持つ方も、

(無意識に、かもしれませんが)

いらっしゃるとは思います。。。ですが、

 

 

カウンセラーだからと言って、「人様を守ること」はできませんし、

その人の「人生の責任」をとれるのは、自分自身だけになってしまう。

(↑キツいときほど、誰かになんとかしてほしくなる気持ちもよ~くわかりますが。。。)

 

 

困っているとき、弱っている人にとっては、

ちょっとイヤな言い方には、なってしまうのだけれど、

 

自分以外の人に「頼りたい」ときって、

自分に対する「信頼がユラいでる」とき、になってしまう。

 

だって、自分で「なんとかできる」って思えていないから。

 

 

自分のことを信じていない人に、

「そのままで大丈夫ですよ」とは言えない。流石に。

(↑でも、そんな状態はダメって責めすぎるのも良くないんだけど。。。)

 

 

自分を信頼できない状況を

「そのまま受け入れる」ってことは、ヘタをすると、

同じことが起こり続けることも、容認しかねない。

(↑「助ける役」の人から見れば、その方が活躍の機会が増えるんだけど。。。)

 

 

 

「たとえば」の話を、するなら。

 

道に迷っているのに、知ってそうな人、詳しそうな人に聞いちゃだめなんですか?

に対する、

 

「どこに行きたいのか」が、わかっていないと道順もなにもないし、

そもそも、「教わった道を行くのか」を決めるのは、自分自身だし。

 

 

学校に勉強しにきたのに、先生に頼っちゃだめなんですか?

に対する、

 

「何を学びたいのか」は、自分にしかわからないし、

そもそも、学ぶ喜びとか得られる充実感は、本人次第になってしまうし。

 

 

病気を治すのに、お医者さんに頼っちゃだめなんですか?

に対する、

 

病気と向き合うのは、どうしても当事者だし、

そもそも、治療に取り組んだり、日常生活の中で節制したりは、やっぱり本人次第。

 

 

 

「自己責任」という言葉は、

「自分を責める」方に使いすぎると、かえってキツくなるし、

結果として「まわり」を信用できなくなるぐらいなら、

それこそ意味はなくなるんだけど、

 

 

「人が誰かにしてあげられること」と、

 

「他人が勝手に入ってはいけない領域」が、あると思う。

 

 

「何かをしてほしい」「助けてほしい」という感覚は、

自分には「欠けている」「足らない」という感覚と繋がる難しさを伴う。

 

 

自分の「まだ、知らない何かがある」という気持ちは、

「自分を見失うこと」にも、繋がる。

 

 

誰かに「背中を押してもらう」、そのおかげで一歩踏み出せたとしても、

「自分を信じたからこそ」の自力の一歩は、

いつまでも生まれない可能性にも、なってしまう。

 

 

 

「誰かのおかげ」で、助けてもらったとき、光が見えたとき、

とても、とても「ありがたい」気持ちになったとき、

 

そのときは、同じぐらい、

ギリギリの状態でも「あきらめなかった自分」も、褒めてあげてほしいし、

他人に頼るために「心をひらいた自分の中の勇気」も、認めてあげてほしい。

 

 

「自分を信じること」と「まわりに感謝すること」

 

そこは「対等」でいいはずだし、

そこを「対等」に扱うことが、とても難しいのだと思う。

 

 

 

んで、

たまになんですが、

カウンセリングに来ていただいた、その過程の中で、

 

 

「全部わかっていて、誘導してくれたですか?」

と、おっしゃっていただいたり、

(↑これは、カウンセリングによって、いい感じの方向にいったとき)

 

 

「答えがわかっているなら、どうすればいいのか教えてくれませんか?」

みたいな質問を、いただいたりします。

(↑こっちは、当然、行き詰まったとき)

 

 

カウンセリングの中では

「誘導」とかは、しているつもりはないし、

基本的に「進んでいく力」原動力は、自力だと考えている。

 

 

だから、

「どこまで行くのか」は、いつでも「自分次第」になる。

 

それは「無意識に」かもしれないけれど、

 

「自分」が「決めていること」が、「すでに」いっぱい「存在している」。

 

その中で、「まだ、見えていないこと」を、一緒に「見つけている」。

 

 

 

「自分の身に起きていること」を、

自分自身が「受け止める」、そのためには、

 

本来「自分の責任」であるものから、目を反らしてもうまくいかないし、

 

「自分の力」を、過小評価しすぎても、うまくいかない。

 

 

 

だから、見方を変えれば、

「もう、こんなことイヤだ」

「もう、本当に何とかしなくては」みたいな、

 

ほとほとイヤになってしまったときの「ネガティブな感情」も、

立派な原動力となりうる。

 

「自分を変えたい」という想いに対しては、本当に有効になる。

 

「まだ、見えていない可能性」は、いっぱいある。

 

 

 

だから、もし、

カウンセリングに来ていただく、その結果として、

「良かったです」と言っていただくのなら、その時には、

 

(カウンセラーのことを、を褒めていただくのも、もちろん嬉しいのですけれど)

 

 

あんな状態っだったけど、

目の前に何の希望もないと思い込んでいたけれど、

でも、

私は、ずっと、自分のことをあきらめきってなかった、

自分のことを、どこかで、ちゃんと信じていた。

 

そんな風に、言っていただける方が、

やっぱり、とても嬉しいです。

 

 

そっちに「誘導」することは、できないけれど、

 

そっちの方が、「これから先」の「可能性」は、ずっとずっと広がっているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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