こころのいばしょ、じぶんのありか。

こころのいばしょ、じぶんのありか。

いっぽずつ、自分らしく生きていくために。

感じたこと
考えたこと
気づいたこと

すべての自分を認めてあげるために、

その先にある「答え」 にたどり着くために。

希望は、大事。

 

 

とてもとても、大事。

 

 

 

 

希望がないと、

 

人は生きていけない。

 

 

ってぐらい、大事。

 

 

 

 

 

それこそ、

 

希望の光。

 

 

っていう言葉があるぐらい、大事。

 

 

 

 

 

 

希望があれば、

 

その希望の光を頼りに、

 

歩んで、いける。

 

 

 

 

 

希望の光を目指すことで、

 

どんな状況でも、

 

あきらめないで、いられる。

 

 

 

 

 

 

希望さえ、

 

見失わなければ、

 

生きていける。

 

 

 

それこそ、

 

生き延びることが、できる。

 

 

 

 

 

だから、

 

希望の光は、

 

その灯は、

 

 

 

 

 

決して、

 

見失っては、いけない。

 

 

 

 

決して、

 

消してしまっては、いけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大事に守り続けている、

 

その希望は、

 

 

いったい、いつから、

 

あったのだろうか。

 

 

 

 

 

気がつくと握りしめていた、

 

その希望は、

 

 

 

無意識のうちに、

 

でも、確実に、

 

 

 

自分を動かす、

 

その原動力となっている。

 

 

 

 

 

ただ、

 

 

いつの間にか抱えていた、

 

その希望は、

 

 

 

ほぼほぼ、無意識で、

 

ほとんど、無自覚で、

 

けっこう、あいまいな感じだから、

 

 

 

 

しっかりと検証されることのないまま、

 

 

 

なんとなく、

 

 

でも、

 

確固たる思いで、

 

 

信じ続けていたことになる。

 

 

 

 

 

 

そんな、

 

 

無自覚に、内側から、

 

自分を動かしていた、

 

 

その、希望は、

 

 

 

 

 

絶対にあるはずなのに、

 

割とあいまいで、

 

 

 

筋が通っているのかすら、

 

あやしい感じの、

 

 

その、希望は、

 

 

 

 

 

本当に、

 

間違いないのだろうか。

 

 

 

 

本当の本当に、

 

真実なのだろうか。

 

 

 

 

 

その希望を頼りに生きていれば、

 

 

 

本当の本当に、絶対に、

 

 

欲しかったものを、

 

手に入することができる。

 

 

の、だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は、割と、

 

 

荒唐無稽で、

 

非現実的で、

 

デタラメな希望を、

 

 

信じていたりもする。

 

 

 

 

 

希望にも、

 

いろいろと種類が、

 

あるわけだし。

 

 

 

 

 

例えば、

 

 

 

お母さんの言うことを聞いてさえいれば、

 

間違いない。

 

 

だとか、

 

 

 

 

真面目に生きていれば、

 

いつか必ず、報われる。

 

 

だとか、

 

 

 

 

 

それこそ、

 

 

やせてシュッとしたら、

 

きっと、モテるに違いない。

 

 

みたいなのだって、

 

 

 

立派な、希望なわけだし。

 

 

 

 

 

希望は、

 

ある意味、罠。

 

 

なのかも、しれない。

 

 

 

 

 

 

知らないうちに身に着けた行動を、

 

続けさせておく、ために。

 

 

 

枠の中に、

 

とどまらせておく、ために。

 

 

 

これまでの生き方を、

 

いつまでも維持しておく、ために。

 

 

 

 

 

 

希望は、

 

 

これまでの生き方の枠を、

 

 

疑うことなく信じたままに、

 

縛りつけておくための、

 

 

 

 

それこそ、

 

格好のエサにも、なる。

 

 

 

 

 

 

だから、

 

もっと言えば、

 

 

 

ときに、希望は、

 

毒にさえも、なる。

 

 

 

 

 

それは、まるで、

 

 

暗闇の中で、

 

光に集まる虫たちのように、

 

 

 

 

光を求めて、

 

光に執着して、

 

光のまわりを離れることなく、

 

 

 

 

 

ずっと、

 

囚われたまま、

 

 

 

まるで、それが、

 

決められた運命であるかのように、

 

 

 

一生を終えてしまうことにも、

 

なってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、

 

その、当たり前のように、

 

抱えてきた希望は、

 

 

 

 

いったい、

 

いつ、どこで、

 

 

手に入れたのだろうか。

 

 

 

 

 

いったい、

 

いつ頃から、

 

 

握りしめた希望に突き動かされて、

 

生きてきたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

かつて、

 

 

どうしても希望が、

 

必要になったことが、

 

あった、ということ。

 

 

なのかも、しれない。

 

 

 

 

 

それは、

 

 

かつて、

 

 

希望を握りしめでもしないと、

 

生きていけないと感じたことが、

 

あった、ということ。

 

 

なのかも、しれない。

 

 

 

 

 

それは、

 

 

かつて、

 

 

絶望を前にして、

 

 

それと同時に、

 

希望にすがった過去が、

 

あった、ということ。

 

 

なのかも、しれない。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

目の前の状況を、

 

受け入れられないとき、

 

 

 

ありのままのはずの現実を、

 

認められないとき、

 

 

 

自らの無力感に、

 

打ちのめされたとき、

 

 

 

 

 

 

真実を歪ませてでも、

 

その場を切り抜けるために、

 

 

 

それこそ、

 

生き延びるために、

 

 

 

 

希望を生み出し、

 

希望にすがった。

 

 

 

のかも、しれない。

 

 

 

 

 

 

人には 、

 

希望が必要。

 

 

 

 

 

少しでもマシな、状況になるかもしれない。

 

少しでもマシな、世界があるかもしれない。

 

少しでもマシな、自分になれるかもしれない。

 

 

 

 

そんな、希望。

 

 

 

 

 

ただ、

 

その希望は、

 

 

否定から、

 

生まれている。

 

 

 

 

 

 

希望がある。

 

ということは、

 

 

もっと、スバラシイ未来を望んでいる。

 

と、いうこと。

 

 

 

 

 

 

希望がある。

 

ということは、

 

 

置かれた現状に、不満がある。

 

と、いうこと。

 

 

 

 

 

 

希望がある。

 

ということは、

 

 

このままじゃダメだと否定している。

 

と、いうこと。

 

 

 

 

 

 

 

見たくない現実を、

 

認めたくない自分を、

 

受け入れたくない真実を、

 

 

 

 

これは、おかしい。

 

これは、間違っている。

 

こんなはずは、ない。

 

 

と、否定して、

 

 

 

 

目の前の現実から、

 

目を背けるために生み出したのが、

 

希望だとしたら、

 

 

 

 

その希望は、

 

 

 

現実を、拒絶して、

 

ありのままの自分を、否定して、

 

真実を、ねじ曲げて、

 

 

 

自分自身が、つくりあげた、

 

 

 

 

歪んだ希望。

 

 

なのかも、しれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望は、真実ではない。

 

 

 

自分の内側で、

 

 

勝手に、解釈して、

 

勝手に、つくり出したもの。

 

 

 

 

 

 

もし、それが、

 

それこそが、

 

 

本当に、

 

真実だとしたら、

 

 

 

 

人は、簡単に、

 

絶望に飲み込まれてしまう。

 

 

のかも、しれない。

 

 

 

 

 

 

だから、

 

希望を手放さないためにも、

 

希望の灯を消さないためにも、

 

 

 

希望を真正面から、

 

検証して確認することは、しない。

 

 

 

 

 

でも、もしも、

 

そこに、

 

救いがあるとするなら、

 

 

 

 

絶望も、また、真実ではない。

 

ということ。

 

 

 

 

 

絶望も、また、

 

 

希望を見出したときと、

 

同じように、

 

 

 

自分の内側で、

 

勝手に、そう認識してしまっただけのこと。

 

 

 

 

 

 

だから、

 

希望は、

 

 

 

自分の内側から生み出された、

 

希望は、

 

 

 

 

一度、

 

外側に出して、

 

 

あらためて、


見つめ直して、



確認する必要が、ある。

 

 

 

 

 

 

ずっと、握りしめていた手を、

 

そっと、開くように。

 

 

 

 


そして、それは、

 

希望を疑うためではなく、

 

願いを思い出すために。

 

 

 

 


あのとき、自分は、

 

 

なぜ、希望が必要だったのか。

 

なぜ、希望を生み出したのか。

 

 

その、本当の理由を、 


思い出して、あげる。

 

 

 

 

 

 

かつて、

 

希望を生み出したのは、

 

 

 

目の前の現実を、

 

否定して、

 

 

自分以外の何者かに、

 

なろうとするため、

 

 

 

ではなく、

 

 

 

 

自分の思い通りに、

 

 

都合の良いように、

 

世界を変えるため、

 

 

でもなく、

 

 

 

 

 

 

心が、

 

本当に求めている、

 

 

願いを、

  

あきらめられなかった、から。

 

 

  

 

 

 

かつての自分が、

 

絶望の真っ只中で、

 

 

 

自分にしかわからない、

 

身勝手な希望を見出してまで、

 

 

 

どうにかして、

 

生き延びようとしたのは、

 

 

 

 

 

自分の願いを、

 

生き延びさせたかった、から。

 

 

 


 

心の奥の願いを、

 

あきらめられなかった、から。

 

 

 

 


 

だから、どうしても、

 

希望が必要だった。

 

 

 

 

 

 

自分を押し殺してでも、

 

事実をねじ負けてでも、

 

真実を無視してでも、

 

 

 

 

そうせざるを得ない、

 

譲れない理由が、

 

 

そこには、ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望が、

 

 

いまを否定して、

 

 

これからの自分が欲しいものを、

 

手に入れようとすること。

 

 

だとしたら、

 

 

 

 

 

願いは、

 

 

ずっと、すでに、もう、

 

ここに、あるもの。

 

 

 

 

 

それこそ、

 

 

自分がこの世界に、

 

存在する時点で、

 

 

もう、すでに、ある。

 

 

 

 

 

 

 

それこそが、

 

 

絶望の渦中で、

 

自分という存在が、いる。

 

 

その本当の意味。

 

 

 

 

 

 

あのとき、自分は、

 

 

いったい、何が、

 

「ある」はずだと、

 

 

あきらめきれなかった、

 

のだろうか。

 

 

 

 

 

 

自分の存在すべてで、

 

受けとめてしまった、

 

  

 

絶望と、

 

 

 

 

それでも、

 

生き延びるために生み出した、

  

 

 

希望と、

 

 

 

 

そうまでして、

 

置いていけなかった、

 

 

 

願いは、

 

 

 

 

自分にしか、わからない。

 

 

 

 

 

 

かつて、

 

すがりつくように、

 

希望を生み出したときだって、

 

 

 

なにも、

 

好き好んで、

 

 

真実を歪ませたかった、

 

わけではない。

 

 

 

 

 

 

自分の目の前に、

 

「ある」はずの大切な何かが、

 

「ない」と思い込んでしまった、だけ。

 

 

 

だから、

 

現実を、

 

真実を、

 

 

受け入れられなかった。

 

 

 

 

 

 

目の前の現実を、否定して、

 

希望だけを、握りしめて、

 

 

 

そして、

 

生き延びようとした。

 

 

 

 

 

そんな、

 

 

無自覚に、必死に、

 

抱えてきた希望の、

 

 

 

本当の存在理由を知るためには、

 

 

願いに繋がり直すためには、

 

 

 

どうしても、一度、

 

 

 

かつて味わった、

 

絶望にも、

 

 

立ち戻る必要が、ある。

 

 

 

 

 

 

そうしないと、

 

どうしても、

 

 

かつて、

 

自分の身に起きたことの、

 

 

その真実には、

 

 

たどり着けない。

 

 

 

 

 

でも、

 

それが、

 

何よりも、怖いこと。

 

 

なのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

自分は、かつて、

 

何が「ない」と思って、

 

絶望したのだろう。

 

 

 

 

 

自分は、かつて、

 

何が「ある」はずたと、

 

絶望したのだろう。

 

 

 

 

 

自分は、かつて、

 

何をあきらめきれなくて、

 

希望にすがったのだろう。

 

 

 

 

 

なぜ、

 

そうまでして、

 

生き延びようとしたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

座間カウンセリングスペースArrive

岩佐利彦

 

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