「どうして、自分は、いつも、
こんな目に、あっちゃうんだろう」
って感じの、
同じような、
いつもの、
ウンザリしてしまう、
不快な感情を、
また、味わうことになるのは、
その感情を、
感じきって、いないから。
だから、繰り返す。
感じきることを、
しないまま、
いつも、
中途半端な感じで、
いつまでも、
不完全燃焼。
だから、
繰り返す。
感情を、
感じきることが、できれば、
感じつくすことが、できれば、
その感情は、
役目を、終える。
そして、
先に進める、はず。
不快な感情は、
感じたくない、
当然、
遠ざけておきたい、
誰だって。
だから、
頭を使って、
分析して、
対策して、
努力して、
成長して、
その感情を、
もう、味わないようにしようと、する。
でも、それは、
別の見方をすれば、
ただ単に、
感じることを、
避けようとしているだけ。
にも、見えてしまう。
感じることに対する、抵抗。
そうやって、
抵抗して、
自分の一部を切り離そうと、
したから、
「ない」ことにしようと、
したから、
気がつくと、
自分を見失ってしまった。
のかも、しれない。
行き詰まって、
「どうにもならない」と、
思えてしまうのは、
自分の力不足、とかではなく、
自分に見えていない何かが、
あるから、
何か気づくべきものが、
あるから、
そもそも、
受けて立つことができない問題は、
目の前に現れない。
だって、
本当に、
どうにもならないことなら、
問題とすら思わないし、
悩みにも、ならない。
自分と向き合おうと、
心に決めたのは、
自分を知りたかったから。
自分を思い出したかったから。
自分を生きたかったから。
だった、はず。
自分と、
自分の本心と、
繋がり直したかったから。
だった、はず。
なのに、
気がつくと、
無意識のうちに、
感情を感じないように、
してしまう自分が、いる。
自分の内側にある、
ありのままの、
そのままの感情は、
怖い。
だって、
一番、触れたくなかった感情に、
一番、行きたくない場所に、
繋がってしまうから。
だから、
自分の内側の、
触れたくない、
一番ヤバい感情を、
遠ざけておくために、
誰かのせいにしてみたり、
分析して対策を練ったり、
無感覚になったりして、
どうにかして、
触れないようにする。
でも、
どうしても、
その不快な感情は、
消えては、くれない。
でも、
それは、
他でもない自分自身にとって、
無視しきれない、
捨てることのできない、
あきらめられない、
何かがあるから。
なのかも、しれない。
自分の内側から、
湧き上がる、
感情は、
感じてほしくて、
受けとめてほしくて、
わかってほしくて、
まるで、
大切なメッセージを、
自分自身に、
届け続けるかのように、
何度でも、何度でも、
生まれて、
そして、いつまでも、
存在し続ける、
それが、
その感情こそが、
自分が、ここに、存在する、
その証であるかのように。
感じることに対する、
抵抗をやめたとき、
感情があることを、
許したとき、
感情を受けとめて、
感じきったとき、
はじめて、
フラットで、
ゼロで、
中立な地点に、
立てる。
そんな、
フラットな場所からしか、
たどり着けない場所が、ある。
自分の中心と、
自分の命と、
自分の本心と、
繋がってさえいれば、
あとは、
命が、
自分の本心が、
魂からの願いが、
本当に心から行きたかった場所に、
たどり着かせて、くれる。
感情は、いつも、
その道しるべになってくれる。
岩佐利彦





