「昨日までの世界」 | Jiro's memorandum

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泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

 

 

「昨日までの世界」[上][下](ジャレド・ダイヤモンド)

 

ジャレド・ダイヤモンド氏の本、5冊目(5作品目)。今回も完全にツボにはまって面白かった。

 

 

人類の長い長い歴史を大局的に見れば、人間社会の大きな変化は(産業革命やIT革命より圧倒的に)農業改革ではないか。農耕社会の前と後で、価値観や行動基準が大きく変わった。

チンパンジーと人間が進化のたもとをわかったのは600万年前。
移動性の狩猟採集社会が定住型の農耕社会へ移行し始めたのは、わずか1万1000年前。
はじめて金属機器がつくられたのは7000年前、はじめて国家が成立し文字が出現したのは5400年前に過ぎない。

国家制度、文字、食糧生産分業化、交易、司法と警察制度、これらの「あたりまえ」が一般化したのは人類の歴史全体で考えればつい最近のこと、ほんの一瞬のこと。

紛争や飢餓や感染症で死ぬリスクが格段に減り、ケガや病気も治るようになり、いつでも美味しい食べ物が手に入り、情報や娯楽にあふれた現代社会は、やはりよいなあと思う一方で、

599万年かけて実験を繰り返し、選び抜かれ、熟成された狩猟採集民の行動規範や価値観、歴史を耐え抜いた生活習慣にも、見直すべきところがたくさんあるのではないかと思う。




以下、備忘



伝統的社会での紛争は、報復の応酬による悪循環でなかなか終わらない。感情的な対立を終息させることが紛争解決に不可欠。

非国家社会の紛争解決の主目的は人間関係を含むさまざまな関係を紛争の前の状態にまで回復し、感情面での対立を終結させること(修復的司法)。調停役(首長や長老など)が重要な役割を担う。

国家社会では、司法の主目的は被害者の損害回復、遵法規範意識の醸成、人権・自由の保護、犯罪の抑制。感情的な対立の終息や和解をはかることは二の次。しかし、伝統的社会の修復的司法のよい面を見直す余地もあるのではないか。



伝統的小規模社会の戦争関連死亡率は現代国家の10倍。
 

20世紀の100年平均でみた場合、現代国家で戦争関連死亡率が最も高いのはドイツ(0.16%)とロシア(0.15%)。ちなみに日本は0.03%。

現代国家
・平和な期間が長い(戦争状態の期間が短い)
・戦死者は18-40歳男性兵士がほとんど
・捕虜が殺害されることはあまりない
・人を殺すことは悪いことと教えられて育つ

伝統的社会
・毎月のように戦闘がある
・集団全員が攻撃の対象(男性、女性、年寄り、子ども)
・大虐殺がときどき起こる
・敵は殺害してかまわないと子どものころから教え込まれている(殺害方法も教えられる)



伝統的戦争は効率が悪い

・戦士は狩猟や農耕と兼業のため戦闘を長期間継続できない
・重火器や爆弾がない
・職業軍人や強力な統率者がいない
・戦略を練って効果的な戦闘を行うことができない(一斉射撃程度の戦術も使えない)
・軍事訓練や布陣の練習も最低限(いざ戦闘となっても隊列が乱れ乱戦になる)

以上のことから、小規模集団同士が1日中闘っても死者が1名とかゼロということも多く紛争が長引く。また、ヨーロッパ人が征服戦争で圧倒的優位に立てた。




狩猟採集民は授乳頻度が高い。いつも赤ん坊が母親にくっついていて(夜も添い寝)、ほしがるたびに授乳を行う(チンパンジーなどと同じ)。生後3年くらいはこのような状況。幼児期のあいだ、安心感と(親と行動をともにしながらの)刺激をたっぷり得ることができる。

母親と赤ん坊が四六時中一緒にいない生活スタイルが出現したのは農耕社会になってから。

狩猟採集民の子育ては放任。危険な遊びや行動(何日も帰ってこないなど)も放置。体罰は最小限しか与えない。

農耕民はある程度の体罰を行うところが多く、牧畜民は体罰を行う傾向が強い。理由は、子どもの過ちの影響(被害)。狩猟採集民のいたずらの影響は本人のところでとどまり、他人の所有物にまで及ぶ可能性は低いが、農耕民は所有物を多く持っており、さらに牧畜民は財産価値の高い所有物を持っている(牛や羊を逃がしてしまうと大損害)。集団全体に被害を与えるようなことを子どもがしないように、間違ったことをしたときには体罰を加える。

平等主義的な狩猟採集民に対し、農耕民や牧畜民の定住型社会では権力の個人差が顕著になり、この違いを敬わせるため体罰が用いられるという面もある。

狩猟採集民の育児は、大きな課題や危険に立ち向かう力と、生活を楽しめる心の持ち主を育てる。




狩猟採集時代、食い扶持を減らすため、体力的に移動についてこれない、などの理由で高齢者が遺棄されることもあった。
現代は、食料にゆとりがあり、医療も発達し、人はかつてないほど長生きするようになった。

文字がなかった時代、知識は高齢者に頼るしかなかった。
現代は、教育の普及に加え、技術革新のスピードも速く(知識やスキルはすぐ時代遅れになる)、高齢者の利用価値はどんどん下がっている。

現代という時代は、高齢者が提供可能だった伝統的価値の大半が失われ、健康なのに哀れな老後を過ごす高齢者が多くなってしまった時代。

現代の高齢者問題を解決する提案としては、子育て支援(伝統的社会では祖父母が孫の世話をし、親が狩りや食物採集に気兼ねなく行けた)、いまある才能が活用できる仕事をみつける(管理、監督、教育、など)、など。




小規模社会では、人と会話して過ごす時間がわれわれよりはるかに長い。彼らは、延々と会話を続けていられる。

その理由の一つとして、日常の雑談は娯楽の種になっている(テレビ、映画、本、ゲーム、インターネットで時間を潰すことはできない)。また、人間関係の構築・維持に役立つ(小規模集団では人間関係が非常に重要)。また、危険な環境で生きていくための情報収集になっている(ネットで情報取得できないし、彼らの人生はわれわれよりはるかに危険に満ちている)。

昨日はこうだったのに今日はこうなっている、今度は何が起こるだろう、どこのだれそれが何をした、なぜそんなことをしたか、など自分の目で見たことと人から口づてで聞いたことが得られる情報のすべて。

常に仲間との会話を絶やさず、できるだけ情報を手に入れ、自分を取り巻く世界の状況を理解し、人生の危険に対応すべく備えている。




集団感染症は、1万1000年前に人類が農耕をはじめるようになって初めて登場し得た病気。それまでは、病気が継続的に存続するために必要とされる宿主人口に足る人口の集団ではなかった。人口が密で衛生状態のよくない集落に定住するようになり、交易を通じて外部の人々と接触し、病原菌が伝播するのに好都合な条件が整った。また、野生動物の家畜化で、動物から人間への伝播が起きやすくなった。



小規模集団の最大の関心事は食料。餓死だけでなく、栄養失調や体力低下によって、病死、事故死(木から落ちる、溺れる)、健康体の敵に殺される、といった可能性が高まる。

狩猟採集民のほうが農耕民よりさまざまな食物を食べ、栄養素の摂取が多様。

食糧不足の対処法としては、野営地を移動する、食料の生産地を複数箇所に分ける(土壌や気候の条件を多様化させリスク分散)、他集団と食糧不足時期に食料を融通しあう合意を交わす、食べられるときに食べて太っておく、食料を長期保存可能な状態にする。

彼らはほんとうに信じられないほど食べる。彼らの食べる量に驚かない西洋人は、ホットドッグ大食い競争に参加したことがある人ぐらいだろう。

長期保存法としては、容器に入れる、塩や酢を加える、発酵させる、干物にする、など。微生物の知識はなくても、これらの方法を発見している。

養豚も実質的には食料保存の一形態。余剰のサツマイモで飼育すれば、サツマイモを豚の形で保存できる。




■「昨日までの世界」から何を学べるか(伝統的社会の人類の経験から享受できること)

・運動すること
・ゆっくりと友人とおしゃべりをしながら食べること
・塩分、飽和脂肪酸、単糖を避け健康的な食品(生野菜・果物、低脂肪の肉、魚、ナッツ、穀物)を選ぶ
 ※フィンランドでは加工食品の基準を健康的なレベルにしている
・子どもをバイリンガルやマルチリンガルに育てる
 ※スイスでは言語の多様性を維持する取り組みをしている
・求められるたびに授乳する
・幼児期における成人とのスキンシップ
・「建設的なパラノイア」を取り入れる(危険察知能力を発揮する)
・経験豊富な高齢者が能力を発揮できる状況をつくる
・紛争解決における修復的司法や調停の仕組み