「シンプルで合理的な人生設計」★★★☆☆ | Jiro's memorandum

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【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

「シンプルで合理的な人生設計」(橘玲)
 

久しぶりに橘玲さんの本を読んだ。橘玲さんは好きな作家の一人で、もう何冊も読んでいる。

 

人々が口に出して言わないけれど「確かにそうだよな」と思っていたようなことをズバリといってくれる痛快さ(時に怖さ)、論理展開のキレのよさ(あるいは隙のなさ)、にいつも感服している。

 

今回の本は、他の人(本)が言っていることの焼き直し感が少なくないものの、一方で独特の切り口も健在だ。

 

なるほど!と腹落ちした部分は、「サティスファイサー戦略」「自己改善の無限ループ」「おわりよければ、すべてよし」など。

 

高度消費社会、高度ネットワーク社会、高度競争社会においては、あらゆる選択の場面で選択肢が限りなく増え、さらなる改善やましてや完璧を目指すことなど、きりがないし、もはや不可能。

 

例えば、何かを買おうとネットで探していても時間ばかりたってしまい、選んだ商品が正解だったのかどうかも結局のところわからない。であれば、自分にとって優先順位の低い分野における選択はできるだけ割り切って、優先順位の高い分野に余力を残したほうがよさそうだ。

 

そして、ときに回り道しつつも、少しずつでも人生を豊かにしていって、最後にいい人生だったと思えれば、それが一番。そのためにも、「幸福の土台」として自分のなかでここ数年こだわっている睡眠と食事と運動は、引き続き優先順位高めに、楽しく取り組んでいこう。

 
 
以下、備忘
 
 
合理性とは「投入した資源(リソース)に対してより多くの利益(リターン)を得ること」
 
金融資本…ほぼ合理的意思決定理論(ファイナンス理論)で説明可能(マイホームは“夢”という合理性では説明できない要素あり)。
 
人的資本…単位時間当たりの収入が多いほうがいいとは一概に言えないが(やりがい、社会的評価など)、「やりがいがすべて」の理想論は早晩破綻。
 
社会資本…人的ネットワークへの帰属意識のこと。愛情や友情は経済合理性と切り離しているが、誰と関係を持つか合理性の要素が全くないわけではない。
 
 
人生はトレードオフから構成される。
「進化的合理性」(短期的最適化)(テーブルの上のケーキ)vs.「論理的合理性」(長期的最適化)(ダイエット)
 
合理的な選択とは、進化的合理性を排除して論理的合理性を一貫させること。しかし、幸福感は進化的合理性からしか得られない(人間の本性)。
 
選択とは「有限な資源の配分問題」。意思決定の目的は「短期的にも長期的にも幸福度(効用)が最大化するような資源の最適配分」。しかし、この目標はそもそも矛盾しており実現は困難。
 
選択をする必要が少なければ少ないほど、人生はゆたかになる。
 
リンゴとミカン、どちらを選択するか。簡単な方法は、両方買うこと。選択を避けるもっともシンプルな戦略は、お金持ちになること。食べたいものを買い物かごに入れ、さっさと精算して店を出る。これだけでも日々の幸福度は確実に上がる。
 
 
人類数百万年の歴史を通して、「食べ物が足りない」(飢餓)はもっとも重大なリスク。空腹を感じると、「このままでは死んでしまう!」と警鐘を鳴らす。
 
農耕の開始、穀物の貯蔵、その交換に貨幣が使われるようになり、「お金が足りない」ことも重大な問題になった。
 
産業革命以降、知識社会化が進むと、決められた時間内で作業を終わらせなければならなくなり、現代人は「時間が足りない」という体験をするようになる。
 
時間に追われているように感じるのは、「時間が足りない」ときに「食べ物が足りない」のと同様に脳が全力で「このままでは死んでしまう!」という警鐘を鳴らしているため。
 
十分な金融資本があれば「お金が足りない」という警鐘は鳴らない。
 
 
コスパやタイパが意識されるのは、現代社会では選択肢が多すぎるから。「選択肢が多すぎると決められなくなり、幸福度が下がる」(心理学者バリー・シュワルツ)
 
すべてのことに最高を求める「マキシマイザー(利益最大化人間)」は、選択肢が飛躍的に増えている高度消費社会ではいずれ破綻。どれを選んでも「もっとよい決断ができたのではないか」と後悔し、なにも決められなくなり、「あのとき決断しておけばよかった」とふたたび後悔する。
 
シュワルツは「サティスファイサー(満足化人間)」になれと推奨。まずまずいいものでよしとし、どこかにもっといいものがあるかもしれない、とは考えない。
 
「満足度を最大化するのではなく、後悔を最小化する」サティスファイサー戦略。完璧な選択を目指すのではなく、適度なリスクをとり、トライ&エラーで一歩ずつ成功へと近づいていくこの戦略が、幸福な人生を実現できる可能性が高いのではないか。
 
 
睡眠と散歩は最強の自己啓発
 
不眠症とは「脳がずっと緊張状態にあること」。危機(悩みや不安)に直面すると交感神経が興奮し「逃走/闘争」に備えるため代謝率が上がり、その結果眠るのが困難になる。
 
昼間のぼーっとした時間に、睡眠時の処理に備えてさまざまな「気になること」をタグ付けしている。就寝時に心配事が押し寄せてくるのは、昼間の時間に「気がかり」を処理できなかったから。現代社会では、仕事に「集中」することが重要とされるが、もっとも大切なのは、なにもせず「ぼーっとする」ことなのかもしれない。
 
効果的なエクササイズは、週に150分以上の中強度または75分の高強度の有酸素運動、それに加えて2回のウェイトトレーニング( 早歩きの散歩、軽いジョギング、腕立て伏せ、など)。
 
 
幸福になる方法のうち、「お金持ちになる」ことほどシンプルかつ効果的な戦略はない。
図の通り、閾値(年収800万円、世帯年収1500万円、金融資産1億円)を超えるまでは、実際に感じる幸福度は理論的な幸福度を上回る(限界効用が逓減するのでお金持ちを目指すことに意味はない、という説はどうしようもないくらい間違えている)。
 
 
 
 
■金融資本
 
コスパ・タイパ・リスパで総合的にインデックスファンドの積み立てより優れているものはない。
 
「営業はすべて無視する」。ウマい話は絶対に来ない。
 
 
■人的資本
 
自尊心を持てるのは大きな人的資本(高い専門性)があるからで、それによって対立する相手の意見を尊重する余裕が生まれる。
 
成功者とは「自分の能力を効率的にマネタイズしているひと」。自分の能力が優位性をもつ市場を見つける。また、強者の市場で戦ってはならない。
 
「ゆっくり成功すればいい」。厳しい競争を何十年も勝ち続けることは難しい。若いときにどれほどイケイケでも、事業が行き詰まったりして「敗者」として人生の後半を迎えるのはかなりきつい体験。大事なのは「若くして成功する」ことではなく、「人生の最後に成功する」こと。
 
 
■社会資本
 
「パフォーマンスが成功を促す。パフォーマンスが測定できないときには、ネットワークが成功を促す」(バラバシ)
・パフォーマンス測定可…個人スポーツ(テニスなど)、学力
・パフォーマンス測定不可…アート(一流の美術館やギャラリーに展示されるかどうか、キュレーターに評価されるかどうかで価値が決まる)ex)「デュシャンの小便器」
 
ギブしても減らないものは2つ。面白い情報を教えることと、面白い知り合いを紹介すること。ネットワーク社会のギバーはこの2つをせっせとやっている。(起業家のパーティーでは、情報交換と人脈の交換が行われる)
 
 
 
 
人は「成功すれば幸せになれる」と懸命に努力する。ポジティブ心理学はこの因果関係を逆転させ「幸せなひとが成功する」と説く。しかし、やるべきは「幸せのマインドセット」。
 
(コップの中に水が)「半分しか入っていない」を「半分も入っている」と認知(マインドセット)を変えるのではなく、半分のコップに水を移す戦略。(コップの中に水が)「満たされている」
 
 
幸せになろうと努力すればするほど、自己改善の“無限ループ”に陥ってしまう。美容、ファッション、フィットネス、人間関係、、、きりのない自己改善によって、幸せになろうとすればするほど、幸せから遠ざかる。だとすれば、目指すべきは「幸福(ポジティブな感情)」を増やすことではなく、より合理的・効率的に「幸せの土台」をつくることではないだろうか。
 
 
有限の資源を何に投じるか最初から決めておく。服はユニクロに統一、簡単で体にいいレシピを決めておく、それらをローテーションさせる。
 
人生の優先順位を決め、それ以外のものを徹底的に合理化すれば、その分だけ大事なことに多くの資源を投入できる。
 
 
 
終わりよければ、すべてよし
 
多くの研究が「いろいろあったけど、なかなかいい人生だった」と思えることが、幸福感にとってものすごく重要であることを示している。
 
 
この本を書きながら繰り返し考えたのは、「どれだけ合理的に人生を設計しても、それでも不合理なことはしばしば起こる」ということだ。
それが人生だし、だからこそ面白いのだろう。