「人魚の眠る家」(東野圭吾)
半分くらいまで読んでも、いまひとつ引き込まれず、この本は自分の好きな東野圭吾作品じゃないかもしれない、とこの本を選んだことに少し後悔し始めた。
しかし、新章房子のボランティア活動のあたりから、ストーリーの仕掛けと薫子の深層心理が俄然気になり始め、この本のテーマが深く掘り下げられていき、読み終わって、読んでよかったと思った。
自分の子どもが同じ境遇になったら、と何度か考えたが、読み終わっても簡単に答えは出せない。人の命を救うことが素晴らしいことだと理解していても、その境遇になってみないとわからない、と言うのが正直なところ。
ただ、脳死というのは、普通の死より、残酷な状態なのではないかと思う。
以下、備忘
「竹内基準は人の死を定義付けるものではなく、臓器提供に踏み切れるかどうかを見極める境界を決めたものだということです。ポイント・オブ・ノーリターンーーこの状態になれば蘇生する可能性はゼロということでした。だから名称としては『脳死』などではなく、『回復不能』や『臨終待機状態』といった表現が妥当だったと思うのです。しかし臓器移植を進めたい役人たちとしては、死という言葉を入れたかったのでしょうね」・・・
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「どういう条件を満たせば臓器を提供できるか、そこにポイントを絞るべきだったのです。しかし生きている人間から臓器を提供することを法律で認めるのは、やはり困難だった。まずは、『その人はもう死んでいる』ことにする必要があったのです」
「苦労だなんて思ったことない。幸せだった。瑞穂の世話をしている時、この子を産んだのは私で、その命を守っているんだっていう実感があって、とても幸せだった。傍目には狂った母親だと見えたかもしれないけれど」
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「この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある。そして子供のために狂えるのは母親だけなの」