「ローマ人の物語13 ユリウス・カエサル ルビコン以後[下]」(塩野七生)
「ブルータス、お前もか」
とうとう、暗殺の日、紀元前44年3月15日をむかえる。
イタリアの高校の歴史の教科書には以下のように記述されているそうだ。
〈懐古主義者たちの自己陶酔がもたらした、無益どころか有害でしかなかった悲劇〉
カエサルは遺言状で、オクタヴィアヌスを後継者に指名。しかし、まだ18歳でしかなく、政界では全くの無名だった。
塩野七生氏の解釈では、カエサルは少なくともあと10年くらいは生きるつもりで、もっと成長し経験を積んだオクタヴィアヌスに後を継がせる想定だったのではないか、とのこと。
いずれにしても、18歳かそれより前の時点で後継者にふさわしい人物と見込んでいた。
ふと、スッラが、18歳のカエサルをとても警戒したというエピソードを当ブログで書いたことを思い出した。
人材採用でも、優秀な人は優秀な人にしか判断できないと言われるが、あらためて、大物は大物にしか見抜けないのだな、と思った。
実際、オクタヴィアヌスは、若いのになかなかの策士で、カエサルシンパの後ろ盾があったとはいえ、着実に地歩を固める。
以下、備忘
その14年間は、結局はカエサルが後継者に指名したオクタヴィアヌスの一人勝ちで終わったことからも、いったい何のための暗殺であり、何のための14年間であったのかと思わずにはいられない。
(中略)
紀元前44年の春、予想もしなかった後継者指名で突然に歴史の舞台に引き出された18歳も、今では33歳を迎えていた。もはや誰一人、「オクタヴィアヌス、WHO?」とは言わなかった。あの当時の「少年(プエル)」は、14年をかけて、カエサルが彼に与えた後継者の地位を確実にしたのである。アントニウスでなく、他の誰でもなく、いまだ未知数の18歳を後継者に選んだ、カエサルの炯眼(けいがん)の勝利でもあった。
いずれも30代前半の3人(オクタヴィアヌス、アグリッパ、マエケナス)によって、「パクス・ロマーナ」は築かれることになる。新生ローマの出発にふさわしい、若々しい力の結集でもあった。