「 One World 」(喜多川泰)
この本は、喜多川泰さんの作品のなかではマイナーかな、と期待せずに読んでみたが、自分にとっては共感度最高レベルの、非常によい本でした。
自分の人生のなかで、影響を与えてくれた方(失礼ながら自分の人生では脇役の方)は、どんな方がいらっしゃったかな、と思いめぐらした。真っ先に思い浮かぶ影響度大の方もいれば、名前も知らない通りすがりの方もいる。
また、自分は今まで誰の人生に脇役として影響を与えてきただろうか、ということも思いめぐらした。そして、自分の人生に影響を与えてくださった脇役の方々に負けないように、自分も多くの人たちの人生に影響を与えられるような行動・生き方をしていきたいな、と思った。
さて、昨日は九十九里トライアスロンに参加してきた。最後の種目ラン(21キロ)の残り10キロ地点で、まさかの天候要因によるレース中止。多くの人が走るのをやめ、トボトボ、あるいは知人同士しゃべりながら、歩き始めた。自分も、かなりがっかりして走る気がなくなった。しかし、「今日は歩くために九十九里まで着たのではない、走るために着たのだ」と気持ちを入れ替え、黙々とゴールに向かって走った。すると、何人かつられて走り始める人もいた(気のせいかもしれないが)。実は、がっかりした人に影響を与えられたら、という気持ちもあって走った。歩いてではなく、ちゃんと走ってのゴールは、中止のため完走にはならないにしろ、達成感は格別だった。
トライスロンのレースに出ると、とくに最後のランでは、かなり苦しそうに走っている人がたくさんいる。何でそこまで苦しい思いをしてまで参加するのだろう、と思ったりする(自分もそうなのだが・・・)。しかし、何かにひたむきに頑張っている人を見ると、理屈抜きに自分も勇気づけられる。そうやって、多くの人が自分の人生に影響を与えてくれたし、自分も知らないところでだれかの人生に影響を与えているかもしれない。
以下、備忘
すべての人が、ある人の人生では、主人公の人生を支えるような何かを教えたり、気づかせたりする脇役を演じると同時に、自分の人生の主人公でもあります。そしてそれを支える脇役がいて・・・
主人公としての自分の人生で、また、脇役としての他人の人生で、どんな役を演じ、どんな物語を作っていくのかは、自分で決めることができる。
自分で決めることができるなら、やはり自分が心から演じたいと思えるような役を演じたいものです。
どこで誰とつながっているのか、自分ではわからないけれど、実はいろんなところですべての人がつながり合って生きている。その恩恵を受けて、今の僕たちの人生はできあがっているのです。
主人公としての自分の人生をどう生きるか。そして、どんな脇役として他人の人生に登場するのか。ちょっと考えてみるきっかけにしていただければ幸いです。